トップが周りを人形にした──給食サービス企業で見続けた「人形化経営」の記録【4】

社会と向き合う

「任せている」という言葉の違和感

その会社のトップは、よくこう言っていた。

  • 「現場に任せている」
  • 「現場の判断を尊重している」
  • 「私は口を出さない」

一見すると、成熟した経営者の言葉に聞こえる。
だが、内部にいると、まったく違う光景が見えていた。

  • 誰も本当の決断をしていない
  • 失敗の責任だけが下に降りてくる
  • 管理職は増え続ける
  • 現場は静かに疲弊していく

これは偶然ではなかった。
トップが周囲を「人形化」させていく構造が、はっきりと存在していた。

トップの仕事を極限まで削ると、3つしか残らない

内部にいて、はっきり分かったことがある。
経営の仕事は、突き詰めると驚くほど少ない。

  1. 価値を定義する  何を、なぜ、いくらで売るのか
  2. 決断する  やる/やめる/上げる/下げる
  3. 責任を引き受ける  結果が出なければ、自分のせいにする

この3つが機能していれば、組織は人形劇にはならない。
問題は、この中身が空っぽな場合だ。

価値を作れないトップに起きていたこと

私が見ていたトップは、

  • 自社の価値を言語化できなかった
  • 価格を自分で決められなかった
  • 撤退ラインを決められなかった

給食サービス業という構造上の制約も、確かにある。
だがそれ以上に、「自分が決める」という立場に立てていなかった。

そのとき、トップの内側で起きているのは、おそらく、こんな葛藤だ。

自分が決めるのは怖い。
でも、誰かが決めた“形”は必要だ。
そこで頼り始めるのが、外部の権威だった。

  • 大企業の名前
  • 有名経営者の言葉
  • 立派な理念
  • 業界慣行
  • 「昔からこうやってきた」

だが、内部にいると分かる。
権威は、判断してくれない。
判断するのは、常に人間だ。

人形化という、いちばん安全な解決策

価値を作れず、決断も引き受けられないトップが取る、もっとも安全な選択肢。

それが、人形を置くことだった。

  • 管理職
  • 部長
  • 現場責任者

彼らにやらせることは、決まっている。

  • 決めた「こと」にする
  • 説明させる
  • 謝らせる

だが、価格決定権も、撤退判断も、構造変更の権限も与えない。
これが、私が見た「人形」だった。

なぜ人形は増え続けるのか

人形は、トップにとって、とても都合がいい。

  1. 自分が悪者にならなくて済む  失敗は管理や現場のせいにできる
  2. 決断者にならなくていい  調整役で居続けられる
  3. やっている感が出る  組織図だけは立派になる

だから、問題が起きるたびに、人形は一人、また一人と増えていく。

実はトップ自身も、人形だった

さらに厄介なのは、ここだ。
そのトップ本人も、別の脚本の人形であるということだ。

  • 業界常識
  • 銀行
  • 過去の成功体験
  • 崇拝する経営者像

こうした「見えない脚本」に縛られ、自分で価値を作れなくなっている。
だから、下に人形を置くしかなくなる。

抽象的な言葉が増えていった理由

価値を定義できないトップほど、言葉は、どんどん抽象化していった。

  • 利他
  • 想い
  • 感謝

これらは、誰も反論できない。
だが、何も決めない。
理念が強まるほど、現場は削られ、構造は一切、変わらなかった。

そして、外部環境変化で結末を迎える

  • 外部環境が変わる
  • 構造は変えられない
  • 管理職が詰められる
  • 現場が疲弊する
  • 「想定外だった」で終わる

これは失敗ではない。
必然の結末だ。

人形をやめた人間が現れたとき

この構造に気づいてしまった人は、もう純粋には演じられない。

  • 会議が茶番に見える
  • 指示が空虚に聞こえる
  • 理念に感動できなくなる

人形をやめた人は、組織にとって「異物」になる。
だから多くの人は、気づいても、また糸を握り直す。

舞台を降りる自由

トップが周りを人形化させるのは、冷酷だからではない。
自分が「価値を作る主体」として立てていない。

それだけだ。

そして、この構造は、トップが変わらない限り、変わらない。
だからもし今、あなたが「これは人形劇だな。」そう思えているなら――

もう演じ続ける義務はない。
舞台を降りる判断は、誰にも奪えない。

人形をやめることは、反抗ではない。
自分の人生を、自分で引き受ける。
ただ、それだけの選択だ。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
社会と向き合う
taki0605をフォローする
空にまれに咲く

コメント

タイトルとURLをコピーしました