機能性表示食品のまやかし──顧客を見失った企業は、制度の奴隷になる

社会と向き合う

機能性表示食品ブームの裏側

ここ数年、「機能性表示食品」や「トクホ(特定保健用食品)」という言葉をよく耳にするようになった。
どのスーパーへ行っても「機能性表示食品」とラベルが貼られた商品が並び、まるで“健康の証”のように扱われている。

しかし──
私はこの制度が企業にとって、まやかしに過ぎないのではないかと思う。

なぜなら、「機能性を表示できるようになった」ことと、「人々の健康や幸せに寄与すること」は、まったく別物だからだ。
そして、この制度が導入されたことによって、新規参入企業が大企業の土俵に引き込まれる構図が生まれている。

機能性表示食品制度は、誰のための仕組みか?

巨大資本に有利な「エビデンス競争」

表向きには、「科学的根拠をもとにした正確な情報提供」が目的の制度。
だが現実には、エビデンスを取得できる資金力・研究力・広告力を持つ企業が圧倒的に有利だ。

届出に必要な臨床データや解析には数百万円〜数千万円単位の費用がかかる。
さらに、その「機能性」を世の中に認知させるには広告展開も不可欠。
つまり、資金を持つ企業ほど有利になる仕組みである。

中小企業が挑もうとしても、入口で疲弊する構造になっている。
これでは、制度そのものが「参入障壁」として機能しているようなものだ。

「エビデンス信仰」がもたらす盲目

制度が整えば、企業は「消費者のために良いものを作る」よりも、「届出が通るものを作る」方向へ進む。
科学的根拠という名のもとに、形式を守ることが目的化する

その結果、商品開発は「顧客に向く」ものではなく「制度に向く」ものになっていく。
これはまさに、本末転倒である。

まやかしの人参──制度が誘導する“偽りの競争”

新規企業を制度の中に囲い込む構造

「機能性表示食品」という制度は、まるで人参のようなものだ。
「科学的に認められた食品」という名目で新規企業の意欲を刺激し、
その結果、多くの企業が制度対応のために時間と資金を費やす。

しかし、それは大企業の思う壺である。

なぜなら、彼らはすでに何十年もかけて「顧客」を育て、ブランド信頼を築いているからだ。
新規企業が制度の基準に必死で合わせている間にも、大企業は顧客との関係性を更新し続ける

制度に従う企業は、いつまでも「追う側」

制度に従うというのは、一見正しく見える。
だが、制度の中で戦う限り、ルールを作る側に勝つことはできない。
つまり、「制度を追う企業」は永遠に追う側のままなのだ。

大企業は、「科学的」「機能性」「根拠ある」という言葉を使って市場を維持し、
一方で小さな企業は、同じ土俵で戦おうとして消耗していく。

これが、「まやかしの人参構造」である。

本当に育てるべきは「顧客」だ

顧客創造こそ、唯一の突破口

私が思うに、中小企業や個人が大企業に勝つ唯一の方法は、「顧客創造」だ。

顧客創造とは、単に「商品を買ってもらう」ことではない。
商品やサービスを通じて、顧客との信頼関係をコツコツ築いていくこと。

  • 「この人だから買いたい」と思われる存在になること。
  • 「この思想に共感する」と言ってもらえる価値を生み出すこと。
  • 「ここでしか買えない体験」を提供すること。

それこそが、制度や流行に左右されないブランドの本質だと思う。

“エビデンス”よりも“共感”の時代

もちろん、科学的根拠を持つこと自体は悪くない。
だが、それ以上に大切なのは、顧客とのつながりだ。

現代の消費者は、機能や成分だけでは動かない。
彼らが求めているのは、「誰が」「どんな思いで」「どんな環境で」作ったのか──
そうした“ストーリー”であり、“誠実さ”である。

どんなにエビデンスがあっても、そこに人の温度がなければ、心は動かない。

おわりに:制度に縛られるか、顧客と歩むか

機能性表示食品制度は、一見すると「科学的進歩」のように見える。
しかし実際には、「制度の奴隷」を増やす仕組みでもある。

新規企業が制度に従って動くほど、大企業のマーケットは維持される。
それは、まさに「まやかしの人参」を追い続ける構図だ。

だからこそ、
私たちが向かうべきは“制度の方向”ではなく、“顧客の方向”である。

顧客とともに市場を育てること──
それこそが、これからの時代に生き残るための唯一の道だと思う。

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