言葉は多いのに、何も決まらなかった
その会社では、毎日たくさんの言葉が飛び交っていた。
- 理念
- 使命
- 利他
- 現場力
- 改善
- 管理
どれも、間違ってはいない言葉だ。
だが不思議なことに、何かが決まる瞬間を、私は一度も見たことがなかった。
会議はある。
議事録もある。
宿題も出る。
でも、
- じゃあ、何をやめるのか
- どこから撤退するのか
- 価格をどうするのか
そういう話だけは、必ず避けられていた。
ある日ふと、こんな考えが頭をよぎった。
「これ、人形劇じゃないか?」
私が見ていた「人形」とは
ここで言う人形は、無能な人間のことではない。
むしろ逆だった。
- 真面目
- 責任感が強い
- 空気を読む
- 組織に忠実
そういう人ほど、人形になりやすかった。
人形の特徴は、だいたい共通している。
- 自分では決めない
- でも責任は負う
- 方針や理念を読み上げる
- 失敗したら頭を下げる
決定権はない。
だが、「判断したことになっている」。
なぜ人形が量産されるのか
理由は、思っていたより単純だった。
トップが、決めないからだ。
- 価格を決めない
- 撤退を決めない
- 構造を変える決断をしない
その代わりに置かれるのが、「判断したことにする役」。
管理職であり、現場リーダーであり、ときには私自身だった。
人形でいることの、現実的なメリット
正直に言えば、人形でいることには利点もあった。
- 役割が与えられる
- 安定している
- 深く考えなくていい
- 失敗しても「上のせい」にできる
だから多くの人は、違和感を覚えても演じ続ける。
私自身も、そうだった。

でも、ある日から景色が変わった
ふと、こんなことを思い始めた。
- これ、何のためにやっているんだ?
- どれだけ頑張っても、構造は変わらない
- 会議が、ただの儀式に見える
- 理念が、空っぽに聞こえる
この瞬間、私は気づいてしまった。
もう半分、人形をやめている。
人形をやめると、世界が見えてしまう
まず、いいことから書いておく。
人形をやめると、世界がやけにクリアに見える。
- 誰が決めていないのか
- どこが詰んでいるのか
- なぜ改善策が机上論になるのか
全部、説明できてしまう。
だが同時に、しんどいことも起きた。
静かに孤独になる
構造の話をすると、あまり共感されない。
- 話が合わなくなる
- 「冷めた人」に見られる
- 場の空気を壊す存在になる
人形劇の中で、舞台装置の話をする人間は、だいたい嫌われる。
それでも、人形をやめる価値があった
人形をやめる、というのはヒーローになることではない。
ただ、自分の人生を、自分の判断で引き受ける
というだけの話だ。
- どこで働くか
- 何を信じるか
- どこで降りるか
それを、他人の台本に委ねない。
よくある勘違いを一つ
「人形をやめる = 今すぐ辞める」ではない。
私がやったのは、もっと地味なことだった。
- 観察する
- 距離を取る
- 期待しない
- 次を考える
役者から観客になるだけでも、ずいぶん楽になる。
人形劇の結末は、だいたい同じだろう
給食サービス業界で見てきた人形劇は、以下の終わり方をすると思う。
- 外的要因が悪化する
- 理念が強化される
- 管理職が増える
- 現場が削られる
- 「想定外だった」で幕が下りる
この流れが見えてしまった私は、もう純粋には演じられない。
糸が切れ始めた感覚
人形をやめるのは、正直、怖い。
安定を失うかもしれない。
居場所がなくなるかもしれない。
それでも、思考を止めて生きるよりはマシだった。
もし今、あなたが「これ、人形劇だな。」
と思えているなら、もう糸が切れ始めている証拠だ。
演じ続けるか。
舞台を降りるか。
決めるのは、もう脚本家じゃない。
あなた自身だ。






コメント