給食サービス業は、この国の縮図だった──給食サービス企業で見続けた「人形化経営」の記録【番外編】

社会と向き合う

国家という名の本社

一連の記事を書き終え、久しぶりにニュースを眺めていると、妙な既視感に襲われた。

政治家や官僚が語る言葉。
制度改革、支援、検討、想い。

その語彙の並びが、かつて給食サービス企業の会議室で聞いていたものと、驚くほど似ていたのだ。
あの会社の中で見ていた「人形劇」は、単なる一業界の特殊事情ではなかった。

それは、この国が長年かけて作り上げてきた統治構造の、極めて分かりやすい縮図だった。

「本社」が「現場」を疲弊させる構造

霞が関という名の「本社」を眺めると、私はかつての職場を思い出す。

農業、漁業、教育、介護、福祉。

社会の基盤を支える「現場」は、限界まで効率化を求められながら、その成果(税と労力)を中央へと吸い上げられる。
一方で中央が行っているのは、現場を自由にするための投資ではない。

  • 複雑化する補助金制度
  • 大量の申請書類
  • その審査と管理のための新組織
  • 外郭団体という名の緩衝材

現場が自律的に回るようにするのではなく、「管理する仕事」を増やすことで組織そのものを維持する。

現場を生かすはずの知性が、現場を縛る仕組みづくりに使われている。
この倒錯は、企業でも国家でも、驚くほど同じ形をしている。

だがここに、もう一つ決定的に見落とされがちな要素がある。
それは、外部要因の存在だ。

給食サービス業も、日本という国家も、原材料価格、エネルギー価格、為替、国際情勢といった「自分たちでは制御できない変数」に常に晒されている。

にもかかわらず、仕組みだけを内向きに複雑化させ、反応速度を落とし、現場の裁量を奪っていく。

外部環境の変化が激しいほど、本来は単純で、即応できる構造が必要になる。

だが現実は、逆方向へ進んでいる。
これは無能さというより、
構造的な自殺に近い。

価値を定義できない「中間層」の専門家たち

給食業界で「利他」や「使命」が免罪符として使われていたように、政治の世界でも美しい言葉が多用される。

  • 地方創生。
  • 持続可能性。
  • 絆。

だが、これらの言葉が一次産業や教育の現場に「価格を決める力」を与えたことがあっただろうか。
給食サービス業は、典型的な価格決定権を持たない産業だ。

原材料が上がっても、人件費が上がっても、エネルギーコストが跳ねても、価格転嫁は許されない。

なぜなら、「公共性」や「使命」という言葉が、値上げを道徳的に封じるからだ。
日本という国家も、驚くほど似た立場にある。

食料自給率は低く、エネルギー自給率はさらに低い。外から買わなければ社会が回らない。
それなのに、価格を交渉する力も、条件を突きつける胆力も、自ら削ぎ落としてきた。

根本的な土俵整備は避けられ、代わりに配られるのは、期限付き・条件付きの補助金。
それは支援というより、「配る側」と「受け取る側」という上下関係を固定化する装置に近い。

価値を定義する責任を引き受けず、価値を生む現場に依存しながら、その上に居座り続ける。
この構図は、決断を避ける経営者が理念で現場を縛る姿と、ほとんど重なって見える。

複雑化が「責任分散」になるとき、組織は死に向かう

給食会社で管理職が増えるほど、「誰が決めたのか」は曖昧になっていった。
業務は細分化され、承認フローは伸び、判断は遅くなる。

そして何より、失敗の責任だけが完全に分散される。日本という国家も、同じ道を歩いている。

  • 委員会。
  • 審議会。
  • 検討会。

決断のためではなく、「検討したという事実」を残すための装置が重なり、
最終的には誰もが「自分は脚本に従っただけだ」と言える構造が出来上がる。

複雑化とは高度化ではない。
多くの場合それは、誰も責任を取らなくて済むようにするための設計である。

だが、外部要因の影響が大きい世界では、この設計は致命傷になる。
想定外は必ず起きる。

そのとき即断できない組織は、確実に死ぬ。
そして構造的破綻が隠しきれなくなったとき、

決まって口にされる言葉がある。

「想定外だった」

それは、安全な場所から現場の混乱を眺めていた者が、最後に使う常套句だ。

「小さな実体」へ移動するという選択

気づいてしまうと、この国全体が巨大な給食サービス企業のように見えてくる。

外部依存度が高く、価格決定権を持たず、内部構造だけが複雑で、責任は分散されている。
現場が削られ、中央のバックオフィスが肥大化し、誰もが何かの脚本を演じている。

この相似形を理解したとき、私にできる選択は一つしかなかった。

国家規模の構造を正す力は、私にはない。
だが、自分がどの土俵で働くかを選ぶ自由だけは、まだ手の中にあった。

私は、実体を生まない本社機能と、空疎な理念に依存する場所を離れる。
自ら価値を定義し、自ら価格を決め、顧客に直接問いかける。

外部環境がどう変わろうと、自分の判断で舵を切れる。
そんな「小さくても実在する経済」へと、私は移動することにした。

この国の劇が、いつ幕を下ろすのかは分からない。
ただ一つ確かなのは、

私はもう、その舞台の演者ではないということだ。
私はこれから、自分が信じられる「一円の価値」を、一から積み上げていく。

それが、外部要因に振り回され続ける巨大な仕組みから距離を取る。

これが私にできる、唯一の現実的な抵抗なのだから。

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