人形をやめたくなった日──給食サービス企業で見続けた「人形化経営」の記録【3】

社会と向き合う

言葉は多いのに、何も決まらなかった

その会社では、毎日たくさんの言葉が飛び交っていた。

  • 理念
  • 使命
  • 利他
  • 現場力
  • 改善
  • 管理

どれも、間違ってはいない言葉だ。
だが不思議なことに、何かが決まる瞬間を、私は一度も見たことがなかった。

会議はある。
議事録もある。
宿題も出る。

でも、

  • じゃあ、何をやめるのか
  • どこから撤退するのか
  • 価格をどうするのか

そういう話だけは、必ず避けられていた。
ある日ふと、こんな考えが頭をよぎった。

「これ、人形劇じゃないか?」

私が見ていた「人形」とは

ここで言う人形は、無能な人間のことではない。
むしろ逆だった。

  • 真面目
  • 責任感が強い
  • 空気を読む
  • 組織に忠実

そういう人ほど、人形になりやすかった。
人形の特徴は、だいたい共通している。

  • 自分では決めない
  • でも責任は負う
  • 方針や理念を読み上げる
  • 失敗したら頭を下げる

決定権はない。
だが、「判断したことになっている」

なぜ人形が量産されるのか

理由は、思っていたより単純だった。
トップが、決めないからだ。

  • 価格を決めない
  • 撤退を決めない
  • 構造を変える決断をしない

その代わりに置かれるのが、「判断したことにする役」
管理職であり、現場リーダーであり、ときには私自身だった。

人形でいることの、現実的なメリット

正直に言えば、人形でいることには利点もあった。

  • 役割が与えられる
  • 安定している
  • 深く考えなくていい
  • 失敗しても「上のせい」にできる

だから多くの人は、違和感を覚えても演じ続ける。
私自身も、そうだった。

でも、ある日から景色が変わった

ふと、こんなことを思い始めた。

  • これ、何のためにやっているんだ?
  • どれだけ頑張っても、構造は変わらない
  • 会議が、ただの儀式に見える
  • 理念が、空っぽに聞こえる

この瞬間、私は気づいてしまった。
もう半分、人形をやめている。

人形をやめると、世界が見えてしまう

まず、いいことから書いておく。
人形をやめると、世界がやけにクリアに見える。

  • 誰が決めていないのか
  • どこが詰んでいるのか
  • なぜ改善策が机上論になるのか

全部、説明できてしまう。
だが同時に、しんどいことも起きた。

静かに孤独になる

構造の話をすると、あまり共感されない。

  • 話が合わなくなる
  • 「冷めた人」に見られる
  • 場の空気を壊す存在になる

人形劇の中で、舞台装置の話をする人間は、だいたい嫌われる。

それでも、人形をやめる価値があった

人形をやめる、というのはヒーローになることではない。
ただ、自分の人生を、自分の判断で引き受ける

というだけの話だ。

  • どこで働くか
  • 何を信じるか
  • どこで降りるか

それを、他人の台本に委ねない。

よくある勘違いを一つ

人形をやめる = 今すぐ辞める」ではない。

私がやったのは、もっと地味なことだった。

  • 観察する
  • 距離を取る
  • 期待しない
  • 次を考える

役者から観客になるだけでも、ずいぶん楽になる。

人形劇の結末は、だいたい同じだろう

給食サービス業界で見てきた人形劇は、以下の終わり方をすると思う。

  • 外的要因が悪化する
  • 理念が強化される
  • 管理職が増える
  • 現場が削られる
  • 「想定外だった」で幕が下りる

この流れが見えてしまった私は、もう純粋には演じられない。

糸が切れ始めた感覚

人形をやめるのは、正直、怖い。
安定を失うかもしれない。
居場所がなくなるかもしれない。

それでも、思考を止めて生きるよりはマシだった。

もし今、あなたが「これ、人形劇だな。」

と思えているなら、もう糸が切れ始めている証拠だ。

演じ続けるか。
舞台を降りるか。

決めるのは、もう脚本家じゃない。
あなた自身だ。

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