退職と論文投稿をめぐる、あるやり取り
私は、任期付き研究員としてある会社に在籍していた。
1年更新の契約を2度経て、4年契約の1年目。
研究は、最初から最後まで私ひとりで担当していた。
退職の意向は、退職の1か月以上前に上司へ伝えた。
当時、私は論文を執筆中だった。
そのとき上司から聞かれたのは、
「この論文、投稿するの?」
という問いだった。
私は即答できなかった。
なぜなら、学会の事務局に確認したところ、掲載されるまで会員である必要があると分かったからだ。
退職する私が投稿すれば、掲載までの間に会員資格を失う可能性がある。
そこで私は、こう提案した。
上司を筆頭著者にして投稿してはどうでしょうか。
研究は、会社の設備と資源を使って行ったものだ。
退職する私ではなく、会社に残る誰かが責任を持つべきだと考えた。
極めて事務的で、現実的な判断だったと思う。
だが、その返答として返ってきたのは、
感情的な問いだった。
「あなたにとって、その程度の研究だったのか?」
正直、違和感しかなかった。
守秘義務と学術倫理の話をしている
私は淡々と、こう説明した。
もし私が投稿者のままで退職し、
掲載後に学会側から質問や照会が来た場合、
私は二つに一つしか選べない。
- 答えれば、守秘義務違反
- 答えなければ、学会への心象を損なう
これは感情の問題ではない。
制度と責任の問題だ。
それを避けるための提案だった。
それでもなお、「その程度の研究だったのか」という言葉が出てくる。
ここで、私は別の違和感にも気づいた。
その問い、誰に向けられるべきだったのか
冷静に考えれば、その問いは本来、
上司自身に返る問いだったはずだ。
- この研究を
- 任期付き研究員ひとりに
- 事業化のロードマップもなく
- 投稿後の責任体制も曖昧なまま
- 任せきりにしていた
その状態で、
「その程度の研究だったのか?」
と問う資格は、誰にあるのだろうか。
研究の重みを軽んじていたのは、
本当に私だったのか。
「その研究、会社に何のメリットがあるの?」
さらに別の場面で、専務からこう聞かれた。
「論文投稿先の権威は?」
「論文を投稿することで、会社にどんなメリットがあるの?」
私は正直に答えた。
- 投稿先の「権威」については、詳しく知らない
- ただし、研究の新規性は認められる
すると、それ以上の言葉はなかった。
ここにも、決定的な問題があった。

知財戦略の不在という恐怖
専務の「メリットは?」という問いは、
裏を返せば、こう言っているのと同じだ。
「この会社には、研究を事業価値に変換するロードマップが最初から存在しない」
価値をどう使うかを考えていない。
だから、価値を測る物差しもない。
その結果、研究の意味を定義できない。
それにもかかわらず、
- 高い給料を払い
- 研究費を出し
- 任期付きとはいえ研究をさせていた
価値を定義できないまま投資させていたことへの無自覚さ。
これは、正直言ってかなり危険だと思う。
「権威」にすがる組織では、イノベーションは起きない
「投稿先の権威は?」という問いも象徴的だった。
自社で価値判断ができない。
だから、外部の「権威」というラベルがないと、
投資の是非を判断できない。
これは、イノベーションが起きない組織の典型例だ。
本来、論文とは
- 研究の正当性を第三者が検証する場であり
- 価値の出発点であって
- ゴールではない
それをどう使い、どう事業につなげるかを考えるのが、
会社の仕事のはずだ。
それを研究者個人に丸投げして、
「メリットは?」と問う。
構造的に、何かが壊れている。
結論として見えたもの
私は、研究を軽んじていたわけではない。
むしろ、研究を研究として終わらせないために、
責任の所在を明確にしようとしただけだ。
だが、この組織には
- 研究の価値を定義する言語がなく
- 研究を引き継ぐ構造もなく
- 研究成果を扱う覚悟もなかった
その結果、
研究は宙に浮き、
問いは個人に押し付けられ、
最後は感情論になる。
そして、個人的な結論
この会社、給食サービス業である。
少なくとも、名目上は。
だが、私にとっては違った。
価値を定義できないまま研究に投資し、
何も回収しないまま終わる。
この会社は、きっと私にとっての給料サービス業だったのだ。






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