馬の耳に念仏 ──「ありがたい教え」が生存を保証しない世界で

言葉と向き合う

馬はなぜ念仏を聞かないのか

「馬の耳に念仏」という諺がある。
意味としてはよく知られている通り、

どれほどありがたい教えを説いても、理解されず無駄に終わること

という、どちらかといえば教える側の虚しさを表す言葉だ。

だが、この諺を少しだけ裏返して眺めてみると、
まったく違う風景が立ち上がってくる。

それは、
「なぜ馬は念仏を聞かないのか」
という問いから始まる。

馬は愚かだから聞かないのか?

馬は、念仏の尊さが分からないから聞き流しているのだろうか。
いや、たぶん違う。

馬はそもそも、
「念仏が必要な世界」に生きていない。

馬が生きているのは、

  • 草を食む世界
  • 風向きが変わる世界
  • 捕食者の気配が一瞬で生死を分ける世界

だ。

そこでは、
悟りも、来世も、言葉による救済も、
直接的には命を守ってくれない。

だから馬は耳を澄ませる。

  • 草むらのかすかな音
  • 空気の異変
  • 地面から伝わる振動

生き延びるために必要な情報だけを拾う。

その耳に、念仏は届かない。
それは無視ではなく、選別だ。

念仏は、生存を保証しない

人間の世界に戻ってみよう。

私たちはあまりにも多くの「念仏」に囲まれて生きている。

  • 正しさ
  • 理念
  • あるべき論
  • 道徳
  • 組織の建前
  • 評価基準

それらは確かに「ありがたい教え」かもしれない。
だが、それらを忠実に唱えたからといって、
必ず生き延びられるとは限らない。

むしろ現実には、

  • 正しいことを言った人から消えていく
  • 空気を読めなかった人が弾かれる
  • 理念に従った人が消耗し、壊れる

そんな場面はいくらでもある。

このとき私たちは、無意識にこう感じている。

これは念仏を唱えている場合じゃない

馬のように生きる、という選択

ここで「馬の耳に念仏」という諺は、
まったく別の意味を帯び始める。

それは、

念仏を聞くな
ではなく、
生きる局面では、まず環境に耳を澄ませろ

というメッセージだ。

馬は賢い。
なぜなら、言葉よりも先に感覚を信じているから

  • この場は危険だ
  • 風向きが変わった
  • ここに長居すべきではない

そうした情報は、論理ではなく感覚としてやってくる。

人間はそれを、

  • 気のせい
  • 考えすぎ
  • 社会人として未熟

と切り捨てがちだが、
それは本来、生存のためのセンサーだ。

念仏が必要な世界と、不要な世界

誤解してほしくないのは、
念仏そのものを否定しているわけではないということだ。

念仏が役に立つ世界も、確かにある。

  • 安定した共同体
  • 価値観が共有されている場
  • 長期的な信頼が機能している関係

そうした場所では、
理念や言葉は人をつなぎ、救いになる。

だが、

  • 構造が歪んだ組織
  • 評価が恣意的な環境
  • 言葉が責任逃れに使われる世界

では、
念仏は生存戦略にならない。

その世界で必要なのは、
馬の耳だ。

「聞かない」のではなく、「聞き分ける」

だから、現代版の「馬の耳に念仏」は、
こう言い換えられると思う。

すべての言葉に耳を傾けるな
生きるために必要な音を聞き分けろ

これは反抗でも、無知でもない。
むしろ高度な選別能力だ。

言葉が溢れ、
正しさが氾濫する時代だからこそ、
聞かない勇気
感じ取る力が問われている。

終わりに

馬は、念仏を知らない。
だが、世界を知っている。

人間は、念仏を唱えられる。
だが、世界を見失うことがある。

もし今、
「どれだけ正しいことをしても、なぜか苦しい」
と感じているなら、

それはあなたが間違っているのではなく、
念仏を唱える世界から、そっと離れる時期なのかもしれない。

少しだけ立ち止まり、
馬のように耳を澄ませてみる。

その感覚は、
思っている以上に、あなたを生かす。

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