時間は本当に速くなっているのか
「歳を取ると一年があっという間に過ぎる」
これは多くの人が実感として持っている感覚だ。そして、その説明としてよく持ち出されるのがジャネーの法則である。
ジャネーの法則は、「主観的に感じる時間の長さは年齢に反比例する」と説明する。10歳の一年は人生の10分の1だが、50歳の一年は50分の1。だから体感的に短くなる、というわけだ。
だが、この説明にはどこか引っかかりが残る。
本当に、時間そのものが速くなっているのだろうか。
流れの中にいると、時間は消える
何かに没頭しているとき、時間は突然消える。
気づいたら夜になっていた。時計を見て驚く。あの数時間は、確かに存在していたはずなのに、「長かった」「短かった」という感覚がない。
このとき私たちは、時間を生きていない。
生きているのは、出来事の連なり=流れだ。
評価も比較も目的もなく、ただ手を動かし、考え、感じている。その状態では、「何分経ったか」という問いそのものが立ち上がらない。
時間とは、常にあとから現れる概念なのだ。
時間は、固定した瞬間に生まれる
では、時間はいつ生まれるのか。
それは、流れを固定しようとした瞬間だ。
- 昨日と今日を分ける
- 同じ出来事を「同じ」と名付ける
- 変化を差分として保存する
比較が始まると、基準が必要になる。その基準として導入されるのが時間である。
時間とは、流れそのものではない。
関係性を保存し、管理し、再利用するための道具だ。
赤ちゃんは、時間の外にいる
赤ちゃんを見ていると、このことがよくわかる。
赤ちゃんには、
- 過去の物語がない
- 未来の予定がない
- 「◯分」「◯時」という尺度がない
あるのは、いま起きている出来事だけだ。
赤ちゃんは時間の中に生きているのではない。出来事の連続そのものとして存在している。
だから、赤ちゃんは「時間が長い」「時間が短い」と感じない。
この意味で、赤ちゃんはジャネーの法則の適用対象外だと言える。

自我が生まれると、時間が走り出す
人が成長するにつれて、自我が形成される。
自我とは何か。
それは、「昨日の自分」と「今日の自分」を同一だとみなす仮定だ。
この仮定が置かれた瞬間、
- 成長
- 老化
- 進歩
- 後退
といった概念が成立する。
そしてそれらは、すべて時間を必要とする。
自我とは、時間を前提とした構造なのだ。
ジャネーの法則の正体
ジャネーの法則は、時間の法則ではない。
より正確に言えば、記憶と比較の法則だ。
年齢を重ねると、
- 記憶の総量が増える
- 既知のパターンが増える
- 新しい関係性が減る
すると、目の前の出来事は、即座に過去の枠組みに当てはめられる。
流れを味わう前に、名前が付く。
このとき、時間は短縮される。
「時間が速くなった」と感じるのは、固定化の速度が上がった結果なのだ。
フロー状態は、脱・時間の瞬間
没入状態、いわゆるフローに入っているとき、人は一時的に時間から解放される。
- 評価が消える
- 比較が止まる
- 目的が薄れる
これは楽しいから時間を忘れるのではない。
時間という管理装置が外れるから、楽なのだ。
フローとは、大人が一瞬だけ赤ちゃんの状態に戻る現象とも言える。
流動と固定
ここで、視点を整理する。
- 流動:出来事、関係性、変化そのもの
- 固定:履歴、記録、比較、管理
時間は固定側に属する概念だ。
固定は必要だ。社会は固定なしには成り立たない。
だが、固定が過剰になると、流れが失われる。
そのとき人は、「生きているのに生きていない」感覚に陥る。
時間が速くなるのではない
一本で言い切るなら、こうなる。
時間が速くなるのではない。
私たちが、流れを固定する速度が上がっているだけだ。
赤ちゃんは時間を生きていない。
大人は時間を管理している。
そして人は、ときどき流れに戻ることで、もう一度「生きている感覚」を取り戻す。
時間に追われていると感じたとき、それは時間の問題ではない。
流れから離れすぎている、というサインなのかもしれない。
時間なんて、ない
最後に、もう一段だけ踏み込んでおきたい。
時間なんて、本当は存在しない。
あるのは、関係性と、その変化の連なり──流れだけだ。
触れた、離れた、反応した、変わった。 ただそれだけが起き続けている。
私たちは、その流れを保存したくなった瞬間に、 「昨日」「明日」「◯年」「◯分」という名前を貼った。
時間とは、世界に元からあったものではない。 関係性を固定し、管理し、再利用するために後から作られた概念だ。
だから、流れの中にいるとき、時間は消える。 没入しているとき、赤ちゃんのように世界と直接つながっているとき、 そこに「速い」「遅い」は存在しない。
時間に追われていると感じるとき、 それは時間が暴走しているのではない。
自己を時間軸で管理しすぎているだけだ。
呪文は便利だ。 予定も締切も年齢も、社会を動かすためには必要だ。
だが、呪文を唱え続けると、 世界は呪文越しにしか見えなくなる。
ときどき呪文を解くと、 世界はちゃんと流れていることに気づく。
時間がない世界は、不自由ではない。 むしろそこには、 生きている感覚そのものが、静かに戻ってきている。







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