GHQが恐れた将棋──駒の死生観と「空即是色 空即是色」の哲学

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※この記事では、「色」や「空」といった『色即是空』の概念を扱っています。
※「色」と「空」、そして『色即是空』の意味をより深く知りたい方は、以下の記事で詳しく解説しています。

将棋はただのゲームではない

将棋は、表面だけ見れば「日本版チェス」とも言える戦略ゲームだ。
16枚ずつの駒を操り、相手の玉将(キング)を詰ませば勝ち。

だが、その背後には、日本人の死生観と世界観、さらには色即是空 空即是色の哲学が深く息づいている。

それゆえにこそ、将棋はただの娯楽以上のものと見なされ、敗戦後にはGHQによって「軍国主義的」とされ、廃止の対象に挙げられたのではないかと感じる。

GHQが廃止を検討した理由──「戦争の残滓」か、もっと深い恐れか?

第二次世界大戦の敗北を受け、日本は占領下に置かれた。
GHQは、日本の軍国主義的な価値観を洗い出し、徹底的に排除する政策を実施する。剣道や柔道といった武道の制限、神道の国家的利用の排除などが進められるなか、将棋や囲碁までもがその網にかけられた。

表向きの理由は、「敵を倒すことを目的とした戦争ゲームだから」というものだった。

だが、将棋をよく知る者であればすぐにわかるだろう。
将棋とは、単なる「倒す/倒される」のゲームではない。
そこには、敗者の駒が再利用されるという、極めて特異で哲学的な構造がある。

将棋が持つ「取られた駒が再び使われる」システム──この輪廻のような美学と構造に、GHQは無意識のうちに「何か危うい精神性」を見たのではないか。

升田幸三という男──将棋を守った“反骨の棋士”

この危機に立ち向かったのが、将棋界の伝説的存在・升田幸三である。
彼は一流の実力を持ちながら、権威に媚びず、常に独自の価値観を貫いた棋士だった。

GHQが将棋を廃止しようとした際、升田は将棋の文化的・精神的価値を訴え、戦後の復活に尽力する。
その姿勢には、「ただの伝統文化の保存」ではなく、“日本人の魂”を守る戦いという覚悟が込められていた。

将棋に宿る「死に際の美学」

将棋の盤上には、常に生と死が交錯している。

たとえば、角が敵陣に突っ込む。
生きて戻る可能性はほぼゼロかもしれない。だが、その1手が局面を切り開く。
「犠牲になることでしか生まれない価値」がそこにはある。

死にそうなときにこそ、駒はもっとも輝きを放つ。
それは、まるで人間の人生にも似ている。
極限の状況でしか開花しない強さや、真の意志のようなものが、そこには表現されている。

この「死に際の美学」は、武士道とも仏教とも通じる精神性である。

色即是空・空即是色──仏教と将棋の交差点

仏教では、あらゆる存在は「空」であると説く。

「空」とは、無ではない。
変化し続ける、関係の中でしか意味を持たない、実体なき在り方のことだ。

色即是空──形あるものはすべて空である。
空即是色──空なるものは、状況によって形として現れる。

将棋の駒も同じだ。

自陣にいるときは守りの駒。
敵陣に入れば攻めの駒。
取られれば盤上から消え、空となる。
だが持ち駒として、別の意味と力を持って再登場する。

駒は固定された存在ではない。
常に状況と関係性の中で、その意味が変化する。
まさにこれは、色即是空・空即是色の体現である。

持ち駒という輪廻──死してなお生きる

取られた駒が「持ち駒」として蘇るという将棋のルールは、他の類似ゲームには見られないユニークな構造だ。

一度死んだはずの駒が、全く違った場所に再び盤上に現れる。
しかもそれは、敵として。

ここにあるのは、輪廻の思想に近い。
死は終わりではない。
空となった存在は、色として再び命を帯びる。

この死と再生のサイクルの中に、無常と可能性が宿っている。
そして、どんなに小さな駒でも、再配置されることで局面を一変させる可能性を秘めている。

量子論との共鳴──未確定の存在

この「意味が確定しない状態」は、実は量子力学とも共鳴する。

量子の世界では、粒子は観測されるまで「状態が確定していない」存在とされる。
将棋の駒もまた、「どう使われるか」によって、その意味と価値がまったく異なる。

取られた歩が、次の瞬間には敵の陣に打ち込まれ、金にも勝る働きをするかもしれない。
その駒が「弱いか強いか」は、固定された属性ではなく、文脈のなかで決まる。

つまり将棋の駒は、量子と同じように、未確定で、関係的で、空である

将棋は「戦争」ではなく「存在の対話」

将棋を「戦争の模倣」と見る視点は浅い。

確かに相手を詰ますという目的はある。
だがそこには、単純な勝敗を超えた、“存在の配置と意味”をめぐる深い対話がある。

駒は、奪い合われ、犠牲になりながらも、互いに意味を与えあう。
そして最後まで戦い抜いた駒たちは、再び箱に戻され、次の一局へと向かう。
そこにあるのは、「今この一瞬における存在の輝き」であり、「常に流転し続ける関係性の美」である。

終わりに──GHQが恐れたのは、思想だった

GHQが恐れたのは、単なる軍事的な模倣ではなかった。
彼らが無意識に感じ取ったのは、将棋に宿る、日本的な死生観と「色即是空 空即是色」の哲学だったのではないか。

「取られてもなお、意味を失わない」
「死んでも、別の形で生き続ける」
「固定された意味など存在しない」
──そんな思想は、管理と統制を重んじる支配者にとっては、最も制御しづらい精神性だっただろう。

そしてそれこそが、私たちが守るべき文化なのではないだろうか。

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