※この記事では、「色」や「空」といった『色即是空』の概念を扱っています。
※「色」と「空」、そして『色即是空』の意味をより深く知りたい方は、以下の記事で詳しく解説しています。
「色即是空、空即是色」に生きるということ
「色即是空、空即是色」。
般若心経に出てくるこの一句は、仏教思想の根幹であり、私たちの人生観・世界観にも深く関係してくる。
色とは、形あるもの。目に見える存在、物質、役割。
空とは、移り変わる関係性や思考。
ものごとは固定された存在ではなく、条件によって生起しては変化し、また消えていく。
この世界はすべて「色」でもあり、同時に「空」でもある。
逆にいえば、どちらかに偏ることは、世界の片側だけを見てしまうということでもある。
妻の母のふるまいに、ふと感じた「空を手放す」感覚
ある時、ふと気づいたことがある。
妻の母は、話すのが上手でとても優しい人だ。でも、彼女自身が誰かに相談したとき、その相手が「それなら私がやってあげますよ」と言ってくれると──たいてい、それを断るという。
「いえいえ、大丈夫です。自分で何とかします。」
そのやり取りを聞いて、思った。
彼女は、空を断っているのではないか?
たとえば──
椎間板ヘルニアで身動きが取れないのに、ヘルパーの手を断る。
真夏にエアコンが壊れても、業者の点検や修理を頼まない。
そんな姿勢は、一見「自立している」「人に迷惑をかけない」ようにも見える。
けれど実際には、空を拒み、関係を断ち切り、自分の色のなかに閉じこもることになってしまう。
関係性という「空」を、断つということ
仏教において「空」とは、すべての存在が縁によって成り立っている、という理解だ。
私たちは自分一人で存在しているのではない。空気があり、他者があり、言葉があり、文化があり、歴史があり、それらすべての因縁の中に「私」がある。
つまり、「私」とはそもそも「関係性」であり、それが「空」である。
誰かに助けてもらう。
誰かに優しくされる。
誰かに何かを預ける。
それは、「空」に自分を委ねることだ。
でも、妻の母はそこを断ってしまう。
彼女の優しさは本物であり、謙虚である。けれどもその謙虚さが、時に「自分だけで完結する」生き方に変わってしまっているようにも見える。
「迷惑をかけない」ことの美徳と呪縛
「迷惑をかけてはいけない」。
この価値観は、日本社会に深く根づいているし、とても大切なマナーでもある。だが、一歩間違えばそれは、「誰とも繋がらないように生きる」という形に変わってしまう。
頼らない。
預けない。
お願いしない。
そうして、だんだんと関係性が薄くなっていく。
誰とも深く関わらないかわりに、傷つくこともない。助けられることもないかわりに、誰かの役に立てることもない。
そうやって、空を手放してしまう。
それはもしかしたら、色を手放すよりも恐ろしいことなのかもしれない。
色を手放すとは、どういうことか?
色は、欲でもある。
名誉、所有、評価、役割、自分のやり方。
これらを「手放す」ことが、仏教的な修行では大切とされている。
しかし、これを徹底すると「自分を消して生きる」ようになってしまうことがある。
あらゆる期待を捨て、自分の存在をすり減らし、ただ淡々と、迷惑をかけずに生きる。
でもそれは、本当に「色を手放す」ことになっているのだろうか?
「色を手放すこと」と、「関係を断つこと」は、まったく別の次元にある。
色を手放したいなら、むしろ空の中に身を置き、誰かと繋がり、共に揺れながら、流れのなかで自我をほどいていくことが大切なのではないか。
「空を手放すことは、色に閉じこもること」
この逆説を、私は妻の母を通して知った。
空を手放すと、自分の世界に閉じこもる。
誰にも頼らず、自分の思いだけで世界を構成しようとする。
それは、関係性のなかで「自分が変わる」ことへの拒絶でもある。
つまり、空を手放すことは、色への固執につながる。
逆に、空に身を委ねることで、色が軽くなる。
どちらかだけを取ることはできない。
どちらかを手放すという問いそのものが、すでにどこか偏っているのかもしれない。
「受け取ること」もまた、与えること
相手の好意を断ることは、自己犠牲のように見えて、実は相手から「与える機会」を奪っている。
助けを受けるというのは、「自分が相手のためになる」機会でもあるのだ。
人は、誰かの役に立てるときに、はじめて「関係のなかの自分」を感じる。
つまり、空のなかで自分の色が現れてくる。
空のなかにこそ、色がある。
色を手放すか、空を手放すかという問いは、きっとどちらかに答えるものではない。
その問い自体を、抱えたまま生きる。
その答えのなさを、「生きる」ということの深さに変えていく。
そのようにして、「色即是空、空即是色」という言葉が、ようやく血の通ったものになっていくのかもしれない。
まとめ──「わかり合えないまま、共にある」関係性
妻の母が他人に頼らない姿を見て、私は最初、どこか寂しさを覚えた。
でも、今は少しだけ違う見方ができるようになった。
それは、色を失った姿ではなく、空を恐れている姿でもなく、色と空のあいだで揺れながらも、誠実に生きようとする人の姿なのだと。
私たちは皆、色と空のあいだに立っている。
どちらかに答えを求めず、その問いを持ったまま、誰かと共に生きていく。
わかり合えないまま、でも関係は続いていく──
それが、空即是色ということなのかもしれない。

  
  
  
  






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