208kmの果てに見えた「空」──佐渡島一周エコ・ジャーニーウルトラ遠足の体験から

自分と向き合う

※この記事では、「色」や「空」といった『色即是空』の概念を扱っています。
※「色」と「空」、そして『色即是空』の意味をより深く知りたい方は、以下の記事で詳しく解説しています。

宴会から始まる旅

人はなぜ長い距離を走るのだろう。
100kmのウルトラマラソンを3度走り切ったあと、私はさらにその先を求め、2014年9月に佐渡島を一周する208kmのイベントに参加することにした。

大会の前夜祭は、常識の枠を越えた空間だった。
みんなが笑い、飲み、語らう。隣に座った女性は豪快にビールをあおりながら言った。
「ビールは炭水化物だ!」

前日に酒を飲むなど、一般的なマラソンの準備としては愚行に見える。だが、この場にいる誰もがそれを「当然」として受け入れていた。
その瞬間に私は気づいた。
この大会では「速さ」や「合理性」よりも、ただ「今」を楽しむ心が大切なのだと。

走るために飲むのではなく、飲むこと自体が走りの一部になっている。宴会は、もうすでに旅の一部だった。

痛みと喪失と、美しさ

スタートは朝6時。佐渡の空は澄んでいた。
序盤の30kmまでは、体も軽く、足取りも自然に進んだ。

しかし次第に、背負ったウォーターバッグが背骨に当たりはじめた。
着地のたびに腰がズキズキと痛み、走るリズムが崩れていく。
さらに道をロストし、余計に5kmを走ってしまった。

その瞬間、心はざわめいた。
「こんなに早く予定が狂ってしまうのか」
「まだ170km以上も残っているのに」

50kmを過ぎ、大野亀の景色が広がったとき、私は一瞬、痛みを忘れた。
あまりの美しさに、写真を撮ることすら忘れて見入ってしまった。
苦しみの中だからこそ、その美は一層鮮やかに浮かび上がる。

酒と仮眠と、諦めかけた朝

夕方、91kmの休憩所にたどり着いたとき、体は限界に近かった。
お風呂に入り、汗を流し、発泡酒をいただいた。
口に含んだ瞬間、体の奥から「生き返る」ような感覚が湧き上がった。

誰かが飲まなかった発泡酒を、別の参加者が「俺が飲む!」と豪快に飲み干す。
その姿を見て思った。
「本当にこの人たちは200kmを走るために来ているのだろうか」
だが同時に、そういう自由さこそが、このイベントの本質なのかもしれなかった。

120km地点。仮眠を試みた。
しかし背中も膝も痛み、眠れない。
眠れぬまま歩き出す。暗闇の中、ヘッドライトの光だけが頼り。
一歩ごとに「やめたい」という声が頭の中に響く。

スタートしてから24時間以上が経過した朝7時、
約160km地点のエイドにいた。ついにその言葉を口に出した。
「もう無理です。やめます。」

そのとき、すぐ近くの参加者が声をあげた。
「何言ってんの!歩いて行け!明日の朝には着くから!」

私の「やめます。」という声(色)は、「朝には着くから!」の声(色)でかき消された。
残ったのはただ「歩く」という行為だけだった。

「あとフルマラソンだけ」という狂気

残り42kmの地点で、またあの参加者に出会った。
彼は笑いながら言った。
「あとフルマラソンだよ!」

普通の人にとっては、絶望にしかならない距離。
だが、この場では「もう少し」という希望に変換される。

9月の陽射しが強く照りつける中、私はとぼとぼ歩き、ときどき走った。
時計の針は確かに進んでいるのに、時間の感覚は溶け落ち、ただ足だけが動き続けていた。

「距離」という概念も、「時間」という概念も──空に溶けていく。
残っていたのは、ただ前へ進むという行為だけだった。

この後の記憶は、霞がかったように曖昧だ。

喜びはないゴール

19時26分。ついにゴールへたどり着いた。
しかし、そこに喜びはなかった。湧き上がってきたのは、「ただ横になりたい」という切実な欲求だけだった。

発泡酒を喉に流し込み、カレーを口に運ぶ。そのあと、ようやくお風呂へ向かう。
膝はギシギシと軋み、階段の上り下りでは手すりにしがみつかざるを得ない。
「階段がこれほど憎い」と思ったのは、生まれて初めてだった。

湯に浸かり、少しだけ体がほぐれたあと、布団へ倒れ込もうとした瞬間。
別の参加者がワンカップの日本酒を手に現れた。
「コース上でさ、酒でも飲んで仮眠でも取ろうと思ったんだけど、結局できなかったよ」
そう言って笑う姿に、思わずこちらも笑ってしまう。

翌朝。帰る前に再び宴会が始まった。
200kmを走った翌日だというのに、みんなは元気に日本酒やビールを飲み干していく。
「本当に変な人たちだ」――心の中でそう呟いた。
けれど、その“変さ”こそが、この旅を特別なものにしていたのだ。

痛みも喜びも、「空」から生まれた色

208kmを走って得たものは、完走の喜びではなかった。
むしろ、「なぜこんなことをしているのか」という疑問の方が強かった。

だが、振り返れば分かる。
痛みも、絶望も、美しい景色も、人の声も、発泡酒の味も──
すべては「空」から生まれた、一瞬の「色」だったのだ。

「やめたい」という思いも、「歩け」という声も、空から現れ、また空へと帰っていった。
走ることも、歩くことも、倒れ込むことも、すべては一時の「色」に過ぎなかった。

その真理は、200kmの果てにあった。
走っていることさえ、やがて気付かなくなる。
だが、その「空」に溶けるために、私は走ったのだ。

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