他を語る組織に潜むリスク
利他を語る組織ほど危うい理由──美徳が「構造の免罪符」になるとき
「うちは利他を大切にしています」
そんな言葉を組織の中で聞くと、私は少し身構えてしまうことがある。
もちろん、利他そのものは悪いことではない。むしろ、社会や組織を円滑に回すうえで不可欠な価値観だ。しかし、利他が“語られ始めた瞬間”には、別のものが隠れ始めることがあるのだ。
利他が必要になる組織は、どんな組織か
そもそも、本当に健全な組織は、利他を頻繁に語らない。
なぜなら、健全な組織では以下の前提が整っているからだ。
- 役割が明確である
- 報酬が妥当である
- 断る権利や休む権利が保証されている
こうした条件が揃っていれば、人は自然と他者を助けるようになる。
逆に言えば、利他を繰り返し語る組織ほど、制度や構造が弱い可能性が高い。
組織で利他が強調される背景には、無意識のうちに「制度の不足や不備」を隠す狙いが潜んでいることが少なくない。
利他は「説明」を省略できてしまう
利他という言葉の危うさは、あまりにも万能であることにある。
例えば、残業が多く、人手不足で報酬が低い状況を考えてみよう。
本来なら、次の問いが組織に立てられるべきだ。
- なぜ残業が多いのか
- なぜ人手が足りないのか
- なぜ報酬が上がらないのか
しかし、利他という言葉はこれらの説明を簡単に省略できてしまう。
「利他の心でやってほしい」
「会社のために」
「みんな頑張っているから」
こうした一言で、組織は不十分な構造や理不尽さを覆い隠せてしまう。
利他は、構造の欠陥を隠す美しい布になり得るのだ。
主語がすり替わる瞬間
利他が危険になるのは、主語が変わったときだ。
本来の利他とは、
「私は余力のある範囲で他者を思う」
である。しかし組織内では、いつの間にかこう変わる。
「君は利他的であるべきだ」
この瞬間、利他は徳目ではなく、義務になる。
そして義務化された美徳は、必ず誰かを追い詰める。
利他が評価軸に組み込まれたときの危うさ
さらに危険なのは、利他が人事評価に絡んだときだ。
- 文句を言わない人
- 断らない人
- 自分を後回しにする人
こうした人が「良い人」として評価される仕組みだ。
結果として、次のような逆転現象が起きる。
- 疲れている人ほど昇進する
- 声を上げる人ほど浮く
- 静かな人ほど壊れていく
これは思想や道徳の問題ではない。単なる設計ミスである。
利他は誰が得をしているかを見えなくする
利他が前面に出る組織では、次のことが見えにくくなる。
- 誰が余力を失っているか
- 誰が無償で支えているか
- 誰が沈黙しているか
なぜなら、「利他的であること」そのものが正しさの証明になってしまうからだ。
結果として、得をしている側ほど利他を語りやすいという逆転現象が起きる。

本当に健全な組織は、まず利己を守る
健全な組織は、利他を語る前に、まず利己を守る。
- 断る自由
- 休む権利
- 境界線の尊重
これらを制度として保証したうえで、自然に生まれる助け合いを**「結果」として受け取る**。
つまり、利他を求めない組織ほど、結果的に利他的になる。
これは決して矛盾ではない。
利他を疑うことは、冷たさではない
利他に違和感を持つと、周囲から「冷たい人」「自分勝手」と思われることもある。
だが実際は逆だ。
利他を無条件に称賛しない人ほど、組織の構造的な問題に気づいている。
利他を疑うことは、優しさを否定することではない。
むしろ、優しさが強制に変わる瞬間を警戒する行為である。
まとめ
利他を語る組織を見るとき、私はいつも次のことを確認する。
- 利己は守られているか
- 断れる人はいるか
- 疲れている人は見えているか
もしこれらが見えないまま、利他だけが語られているなら、その組織は少し危うい。
利他は掲げる理念ではなく、結果として現れる現象であるべきだ。
そしてその結果は、利己が守られた場所にしか生まれない。






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