関係性に生きる母の姿──色即是空・空即是色という在り方と、インターネットの彼方へ

家族と向き合う

フットワークの軽さは、思いやりの速さ

私の母は、とにかくフットワークが軽い。

誰かに「〇〇ある?」と聞かれれば、「あるよ!」と即答し、ほんの数分後にはそれを携えて玄関から出ていく。たとえそれが雨の日でも、雪の日でも、関係ない。頼まれたことがあると、嬉しそうに出かけていく。

そんな姿を見て育った私は、最初はただ「元気な母だな」と思っていた。けれど、年齢を重ねるにつれ、母の行動の裏にある哲学のようなものが、じわじわと心に染みてきた。

母は、モノを運んでいるのではない。
“関係性”を運んでいるのだ。

なぜか、我が家にはモノが集まってくる

不思議なことに、我が家にはいつもいろんなものが集まってくる。

どこかで採れた果物、家庭菜園の余りもの、手作りのお菓子、噂話、地域の最新情報、冠婚葬祭の連絡、回覧板より早い告知。

一見、バラバラに見えるそれらは、すべて“人と人との関係”の中で動いている。

母が誰かに与えた優しさが、モノや言葉となって戻ってくる。
それは「お返し」としてではない。関係性の巡りとして、自然に、流れの中で還ってくる。

我が家は、まるで小さな“ハブ”のようだ。
人やモノや情報が交差し、通過し、循環していく。
母はその中心で、何かを握ることなく、ただ通している。
所有するのではなく、巡らせる。

その在り方が、今の私にはとても尊く思える。

色即是空・空即是色──与えることは、手放すことではない

仏教の教えに「色即是空 空即是色」という言葉がある。

“色”とは、形あるもの。モノや身体、現象。
“空”とは、無常、非実体性、関係性そのもの。

つまり、モノはその本質において空(くう)であり、
空もまた、この世界の形あるすべて(色)に宿っているという教えだ。

母の生き方はまさにそれを体現している。
モノに執着しない。与えることに躊躇がない。
でも、それは「何も持っていない」ということではない。

むしろ、与えることでこそ、自分の世界を豊かにしている

母にとって、モノは所有するものではなく、繋ぐための媒介だ。
人と人のあいだを行き交う手紙のように、それを手に取り、次の誰かへと届けていく。

そこに込められているのは、単なる便利さでも、損得でもない。
「あなたのことを気にかけていますよ」という、見えない思いやりだ。

インターネットより速いものが、かつて確かにあった

ふと思う。

もし、すべての人が母のように関係性の中で生きていたら、インターネットなんて必要なかったのではないだろうか。

人と人との信頼があれば、情報は直接届く。
困っている人がいれば、声にならないうちに誰かが気づく。
嬉しいことがあれば、言葉よりも先に表情で伝わる。

“検索”する前に、“想像”が働く。
“共有”する前に、“共感”が生まれる。

インターネットは便利だけれど、どこか無機質だ。
それに対して、母の生き方はあたたかい循環のネットワークだ。

誰かの気持ちを受け取って、自分の行動で返していく。
その連なりが、人と人との間に“信”を生む。
それは、どんな情報インフラよりも速くて、確実で、安心できる。

テクノロジーでは決して代替できない、人間の本来的な情報網。
それが、母のまわりには確かにあった。

「孤立」が加速する時代に、母の生き方は逆光のように輝く

今の時代、誰とでもつながれるはずのインターネットがあるにもかかわらず、
人々の孤独感はむしろ増しているように見える。

「何かを与えたいけれど、迷惑になるかもしれない」
「必要とされていないかもしれない」
「声をかけても断られたら傷つく」
──そんな不安が、心の中に静かに広がっていく。

でも、母はそうした“心のブレーキ”を持っていないように見える。

頼まれたら助ける。
見かけたら声をかける。
与えたいと思ったら渡す。

それは、幼い子どものような無邪気さと、人生を生き抜いてきた胆力の両方があってこそ、できることなのかもしれない。

母のような人がいることで、地域の中で孤立しそうな人が引き戻される。
一人になりそうな人が、関係の糸をたぐり寄せることができる。
それはきっと、行政でも、SNSでも、AIでもできないことだ。

生きるとは、与えること。

与えるとは、つながること。

「生きるってなんだろう?」

そんな問いを持ったとき、私はときどき母の姿を思い出す。

生きるとは、与えることなのかもしれない。
そして、与えるとは、つながることなのかもしれない。

見返りを求めるわけじゃなく、
優しさを“やってあげる”んじゃなく、
ただ、その人の存在を受け入れて、関わっていく。

母は、たくさんの人に囲まれて生きている。
でも、それは“社交的だから”ではない。

関係性を恐れず、差し出すことを恐れず、
自分の手の中にあるものを、惜しみなく使ってきたからだ。

その生き方が、いまの私の目には、とてもまぶしく映る。

これからの時代を照らす、小さな灯り

私たちはこれから、ますますテクノロジーとともに生きていく。
AI、IoT、メタバース……。
人と人が顔を合わせなくても、やりとりできる時代。

でも、だからこそ、母のような生き方が必要になると私は思う。

人と人が、顔を見て笑い、困っているときは寄り添い、
与えることを自然にできる社会。

「関係性の中でこそ、人は人になれる」
そんな古くて新しい真理を、母の姿が教えてくれている。

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