※この記事では、「色」や「空」といった『色即是空』の概念を扱っています。
※「色」と「空」、そして『色即是空』の意味をより深く知りたい方は、以下の記事で詳しく解説しています。
世界の仕組みが明らかになったとき、人は生きられるか?
かつて、ナチスの強制収容所での体験を綴った名著『夜と霧』の中で、ヴィクトール・フランクルはこう語った。
人は、外的要因に生きる希望を見出したとき、死ぬ。
内的要因に生きる意味を見出したとき、人は生きられる。
この言葉が、いま、量子重力理論やAI、量子コンピュータなど、科学の極点に向かおうとする人類の足元に、警鐘のように鳴り響いているように思えてならない。

「すべてがわかるようになった世界」──それは、外的要因の極みであり、完全なる予測可能性の世界。
だが、そんな世界において、私たちは本当に「生きる意味」を持ち続けられるのだろうか?
予測可能性は、人を救うか、滅ぼすか
量子重力理論は、宇宙の根本的な構造を解明しようとする試みであり、時間と空間の起源にまで手を伸ばそうとする。
量子コンピュータは、それまで不可能とされてきた計算問題を爆速で処理し、今後ますます複雑な現象の未来予測を可能にしていく。
選択と自由の喪失
では、仮にこの先、宇宙のすべての因果関係が明らかになり、未来さえ予測できる世界が実現したとしよう。
そんな世界では、人は「自分で選び、意味を見出す」という行為を、果たしてできるのか?
いや、できないだろう。
なぜなら、「選ぶ」という行為そのものが、「わからない未来」があるからこそ成立するからだ。

未来の確定と人間性の危機
もしすべてが見通せるなら、挑戦や冒険は「演算結果」にすぎなくなる。
そこに残るのは「行為」ではなく「プログラム」であり、人間の主体性は消失する。
不確定性は、人間の尊厳の最後の砦
量子力学は、物理の世界に「絶対的な不確実性」が存在することを教えた。
測定されるまで、電子がどこにいるのかは決まっていない。
この不確定性こそが、すべての可能性の余地であり、自由であり、希望なのだ。
人間にとっての不確定性
「自分の未来が完全に決まっていない」という不確定さがあるからこそ、
私たちは今日という日を選び、悩み、泣き、笑い、愛し、意味を創り出していける。
不確定性と尊厳の関係
自由の根拠は「完全にわからない」ことにある。
もし未来が確定的であるなら、尊厳は奪われ、ただの結果待ちに過ぎなくなる。
つまり、不確定性は、人間性そのものである。

「すべてを知ること」は「すべてを殺す」ことかもしれない
人類が科学によって「神の視座」に立とうとするたびに思う。
このまま突き詰めていけば、確かに世界の構造や未来が見通せるようになるかもしれない。
けれど、それは同時に、意味や祈りの余地がなくなる世界でもある。
予測可能世界の虚無
誰もが「何が起きるか」を知っている世界。
自分の行動の結果すらも、あらかじめシステムに表示される世界。
そんな場所で、人は、自分で選ぶ喜びを、内なる意味を持つことができるのだろうか?

フランクルの言う通り、そこに待っているのは「死」なのかもしれない。
神の視座と人間の死
知識が極点に達したとき、人は神のように全能となるのか、それとも「意味を失った存在」として死にゆくのか。
この問いが私たちの前に横たわっている。
調和が崩れた先で、人は何と調和するのか?
「色即是空 空即是色」とは、あらゆる存在(色)は空(実体のない関係性)であり、
その空(虚無)は色(この世の現象)と不可分であるという真理。
科学が進みすぎた先には、この「調和」が崩れかねない危機がある。
色と空の崩壊
すべての色(現象)が意味を持たなくなり、すべてが空(空虚)となった世界。
しかし、それでも人は、生きるのだとしたら──その時、何と調和を始めるのだろうか?
新たな調和の可能性
調和の対象は自然でも神でもなく、「人間の不完全さ」かもしれない。
すべてが虚無化しても、人は「足りなさ」によって結びつく可能性がある。
人間性の最後の領域としての「不完全さ」
量子重力理論のように、宇宙全体を理解しようとする試みは、美しく、壮大で、希望に満ちている。
でもそれは、まるで人間の手で「宇宙を終わらせてしまう」ような矛盾を孕んでいる。
「わからなさ」を失うことの危うさ
人は、世界のすべてを理解できるようになったとき、自らの「わからなさ」を失う。
そのとき、自らの「意味」もまた、失うのではないか?

祈りとしての不完全さ
だからこそ、すべてが明らかになる未来に、私は一つの祈りを込めたい。
どうか、この世界が最後まで「わからないもの」であってくれますように。
人が、自分自身で「生きる意味」を問い続けられる余地が、いつまでも残りますように。
終わりに
人は、すべてを理解してはならない。
不完全であるからこそ、生きる意味を持ち続けられる。
境界に立つ私たち
科学の先にあるのは、神の知識か、それとも人間の死か──
その境界線に立たされているのが、私たちの時代なのかもしれない。
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