色即是空、未確定のまま生きるということ──量子と人間のあいだに揺れる存在のリアリティ

社会と向き合う

※この記事では、「色」や「空」といった『色即是空』の概念を扱っています。
※「色」と「空」、そして『色即是空』の意味をより深く知りたい方は、以下の記事で詳しく解説しています。

「確定しない」ことが世界の本質かもしれない

日々の暮らしの中で、私たちはつい「確定」を求めてしまう。
自分の居場所、人間関係、将来の進路、社会の安定、経済の行方──それらすべてに“答え”を求め、「これが正しい」「これが安定だ」とラベルを貼りたくなる。

けれども、本当に世界はそんなにシンプルなものだろうか?

物理学は、その問いに一つの方向性を与えてくれる。
たとえば、量子の世界。
そこでは、粒子が「ある位置にある」ことすら確定できない。
観測するまでは、すべてが「可能性の波」のまま、漂っている。

そして、私たち人間もまた──心の奥深くでは、そんな未確定な「量子的存在」なのではないだろうか。

決めた瞬間に、崩れていくもの

「決めなければならない」と私たちは思い込む。
人生の節目、進路の選択、就職、結婚、家族のあり方。

だが、決めた瞬間に、それは“過去のもの”になる。
今この瞬間の自分は、すでに次の可能性へと動き出している。

観測された粒子が、次の瞬間にはまた曖昧になるように、
人間も、確定した途端に次の揺らぎへと向かう。

それは不安定さかもしれない。
でも同時に、それが“生きている”ということなのだろう。

「空」としての私たち

仏教では「色即是空、空即是色」と説かれる。
形あるものはすべて空であり、空なるものがすべて形となる。
この言葉の深い意味が、量子の世界に重なるのを感じる。

確かに“ここにある”と感じる自分も、つながりの中でしか存在しない。
言葉を交わす相手がいて、誰かのまなざしがあって、社会があって、記憶があって、はじめて“私”が立ち現れる。

つまり、「確固とした自分」など、そもそもどこにも存在していないのかもしれない。
それでも、私たちはいま、こうして生きている。

量子と人間、そのあいだにあるもの

ミクロな量子の世界と、マクロな人間社会は一見かけ離れているようで、実は深くつながっている。

私たちは量子の塊でできている。
しかし、その振る舞いは、重さ=「質量」が大きくなるほど古典的(決定的)に見える。
でも、内側には確かに“未確定のゆらぎ”がありつづけている。

たとえば、感情。
たとえば、思いつき。
たとえば、「なんとなくこっちへ行きたい」という直感。

そうしたものは、観測不能で、予測不能で、しかし確かに「今ここに生まれている」現象だ。
それはまるで、波のように揺れ動く可能性の一つとして、心の内に立ち上がってくる。

未確定なまま、つながっていく

だからこそ、人と人との関係もまた、「未確定」であり続ける。
誰かと出会い、心を通わせること。
それは一度きりの“観測”かもしれないけれど、そこには次の可能性がいつも生まれている。

この人ともっと話したい、この場所にまた戻りたい。
そんな想いが、世界を少しずつ変えていく。

確定しない、ということは、未来が開かれている、ということでもある。
量子の世界では、確定とは“可能性の終わり”を意味することがある。
ならば、私たちはできるだけ「確定させないまま」生きることができるだろうか。

わからないまま、ゆらいだまま、しかし深く、他者と、世界と、つながって。

おわりに──いま、ここで

「今、この瞬間」に立ち戻るとき、
確定しているようで、何も確定していない。

それが、ある種の救いでもある。
変わることができるということ。
つながることができるということ。

そして──
“色即是空”のこの世界で、未確定なまま美しく生きるということ。

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