【育児の不条理と向き合う】料理を投げ出した朝と、ぎゅっと抱きしめた瞬間

日常と向き合う

朝の台所にて──小さなリクエストの嵐

朝。
私はいつものように、家族の朝ごはんを作っていた。

人参をしりしり器にかけながら、静かに流れる時間の中で、
「今日も穏やかに始まってくれたらいいな」
そんなことをぼんやり思っていた。

そのとき、3歳の娘が「てつだいたい!」と、にこにこ顔でやってきた。
「できることは一緒に」と思っている私は、
「じゃあやってみようか」とピーラーを手渡した。

娘はまだ少しおっかなびっくりながらも、一生懸命。
その手元を見守っていると、こちらまで嬉しくなってくる。
けれど──
その“てつだい”は、嵐の始まりだった。

「つぎ、ポテトたべたい!」
「じゃがいもきって!」
「つぎは、たまごやきも!」

次から次へと湧いてくる“やりたい”と“たべたい”。
3歳の世界には、“段取り”も“順番”も存在しない。
ただただ、「いま、これ!」の一点だけで成り立っている。

「パパは一人しかいないんだよ」

じゃがいもを水にさらしながら、私は言った。

「パパは一人しかいないんだよ」

でも、娘の耳には届かない。
茹でたもやしの水を絞っていると、背後から飛んできた声。

「はやくたまごー! おそいよー!」

その瞬間だった。
私の中で、何かがぷつんと切れた。

料理の手を止め、
調理台のまわりに並んでいた食材を放り出した。
もう何もかも嫌になって、
私は黙ってキッチンから離れ、洗濯物のもとへ向かった。

でも──
本当は、そのまま家を出て行きたい気持ちだった

玄関に目をやる。
このまま靴を履いて、どこかへ行ってしまおうか。
ほんの一瞬、本気でそう思った。

けれど私は、そこに踏みとどまった。

逃げ出したかった。でも、出ていかなかった理由

後から考えれば、私はあの瞬間、
“この家族という場”を壊したくなかったのだと思う。

たとえ怒りがこみ上げても、
不条理に思えても、
手を止め、心を閉ざしたくなっても──
そのまま外に出ていくという選択だけは、したくなかった。

怒りをぶつけたり、距離を取ったりすることはある。
でも、「関係を壊す」ようなことはしたくなかった。
“ここにいる”ということを手放したくなかった

逃げたい、けど壊したくない。
その矛盾のなかで、私はふと立ち止まり、洗濯を干しはじめた。

それはたぶん、家族という“宇宙”を保とうとする、
ささやかだけど確かな、私なりの選択だった。

「ごめんね」の声と、再びつながる時間

しばらくして、娘が妻に何か言われたのか、
おそるおそる近づいてきた。

「パパ……ごめんなさい」

その声は、小さく震えていた。
娘なりに「やりすぎた」と思ったのだろう。
あるいは、パパの背中が悲しそうだったのかもしれない。

私は娘に向き直り、
「なんでもかんでも、すぐにはできないんだよ」と
やさしく伝えた。

そして、ぎゅっと抱きしめた。
少し湿った小さな体が、私の胸に収まった。

料理に戻る。心を戻す。

それから、私は台所に戻った。

しりしりされた人参、じゃがいも、もやし。
どれも中途半端に止まったままの時間を、
少しずつ、ゆっくりと再開させていく。

娘はもう何も言わず、
少し距離をおいて、黙って私の背中を見つめていた。

料理が仕上がった頃、娘がぽつりとつぶやいた。

「ありがとう」

その声は、小さくても、
どこか少し大人びていて、
まるで“関係を結び直す”ような響きだった。

完璧じゃない関係でいい

子育てに“正解”はない。
怒らないことが正義でもないし、
全部に応えるのが愛情でもない。

たとえ怒ってしまっても、
キレてしまっても、
そのあとで、またつながり直せればいい

「ごめんね」
「ありがとう」
「ぎゅー」

そんな言葉や行動の中で、
私たちはまた、もう一度“家族になる”。

終わりに──不条理の奥にある、信頼という火種

3歳の子どもは、理不尽だ。
順番を待たないし、相手の都合を考えない。
こちらのキャパを、いとも簡単に超えてくる。

だけどそれは、
「安心してわがままを言える場」がそこにあるという証でもある。

つまり、信頼されているということだ。

不条理は、愛されていることの裏返し。
だから、ただ振り回されるのではなく、
その奥にある「信頼の火種」を感じながら、
今日もまた私は台所に立つ。

子育ては、不条理と愛のあいだを揺れながら進んでいく旅。
踏みとどまり、またつながり、少しずつ家族になっていく。
そんな日々が、私たちの人生を、静かに形づくっている。

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