闇に響く色──丑三つ時の音と心の影

自分と向き合う

闇に揺らぐ音

夜中にふと目が覚めた。
お盆も過ぎ、夜気はほんのり冷たさを帯びている。
エアコンを止め、窓を開けた瞬間、ひんやりとした空気がすっと部屋に流れ込んだ。
外の闇は厚く、月明かりも遠く、ただ静寂だけが部屋を覆っていた。

1歳の息子のオムツを替え、ミルクを用意する。
やわらかい布の感触に安心を覚えながらも、まだ半分眠った意識で動いていた。
ミルクを温め、哺乳瓶を揺らす音だけが、静かな夜に小さな波紋を描く。

そして、トイレへ向かうため廊下を歩いたそのときだった。
──コーン、コーン。

鉄を突き刺すような乾いた音。
静寂を、まるで刃物で切り裂くかのように響く。
一度、二度。
そのあとも、耳の奥で何度も反響し、まるで部屋の壁が音を受け止めているかのようだった。

心臓がわずかに早鐘を打つ。
「誰かいる?」──声に出してはいけない気がして、息を潜める。
床に影が揺れるわけでも、物が倒れた音でもない。
それでも、あの冷たい夜気が背筋を撫でていく。

──コーン。

そして再び、かすかに、しかし確かに。

丑の刻参りの影

時計を見れば、丑三つ時。
胸がかすかにどくどくと音を立てる。
頭の中に浮かんだのは、丑の刻参りの光景。

白装束に乱れた髪、藁人形を抱え、五寸釘を振り下ろす女──
想像の中でしかないはずなのに、脳裏に鮮やかに浮かぶ。

音は近いのか、遠いのか、判然としない。
冷気が足首を這い上がり、体を包み込むように広がる。背筋はゾクゾクと震えた。

──コーン。
──コーン。

ひと打ちごとに、胸の奥の血が削られていくような感覚。
「このまま音を聞き続ければ、魂までも打ち込まれてしまう──」
そんな妄念が理性を締めつけ、心を蝕む。

現実と想像の境界は、次第に曖昧になっていく。

──コーン。
──コーン。

打ち鳴らされる音は、規則正しく、しかしどこか不穏で。
ひとつひとつが、胸の奥で何かを削ぎ落とす。
恐怖が体を支配し、息を詰まらせる。
ただ、丑の刻の闇が、ゆっくりと、自分を取り込もうとしているのを感じるだけだった。

恐怖の正体

耐えきれず、窓の外をのぞいた。
明かりが灯った線路が見えた。
そこに、人影はなかった。

しかし、わかった。
線路の修繕──それが音の正体だったのだ。

安堵と同時に、膝から力が抜けた。
だが、つい先ほどまで自分を支配していた恐怖は、いったいどこから生まれたのだろう。

恐怖を超えて

思えば、あの恐怖は「実体のない影」だった。
ただの鉄を打つ音に、私の心が色を与え、怨念の姿を見出したのだ。

恐怖もまた、私の心が映し出した色にすぎない。
その色は空であり、つかんでしまえば空に溶けて消える。

恐怖を見破ったとき、夜の冷たさはやさしく変わり、
丑三つ時の闇は、ただ静かに流れる時間へと戻っていった。

闇は恐ろしくもあり、やすらかでもある。
それを決めるのは、この心。
あの夜の音は今も、私にそう語りかけている。

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