内部留保という“凍った時間”

社会と向き合う

──企業という生命体と国家の交差点で考えること

皆さんは企業の決算報告書や四季報の財務データをご覧になったことはありますか?

この財務諸表をじっくりと眺めていると、静かに、しかし確かに積み上がっていくものに気づきます。それは、純資産。資本金や利益剰余金などから成る、いわゆる「内部留保」と呼ばれる部分です。

企業の内部留保が積み上がるとはどういうことでしょうか。売上から人件費、原材料費、税金などすべてを引いたあとに残る“余剰”。それは、未来の不確実性への備えとして企業が保有し続けているもの。言い換えれば、企業という生命体が「個」として自律し、強く生き抜こうとしている証拠なのかもしれません。

他者との繋がりが減るということ

かつての企業は、もっと他者と繋がっていたのかもしれません。借入をし、投資を受け、従業員や取引先、株主や社会との関係の中で常に動き、流れ、生きていた。

しかし今、内部留保という“個”の強さが際立つにつれ、企業は徐々に「孤島化」しているようにも感じます。借入が減り、設備投資を控え、財務的にも“動かない”。

それはまるで、動脈の中で血液が凍っていくような感覚。

人との関係性が希薄になった現代社会の縮図を見るかのようです。自己完結した安心の中で、企業は「繋がらない」ことを選んでいる。リスクを取らず、投資をせず、守りに入っている。その結果、社会全体としてのダイナミズム──流れや広がり──が鈍ってきているように見えるのです。

凍ったお金、凍った時間

内部留保は現金として保有されているとは限らず、多くは会計上の数字に過ぎません。しかし、それでもそこには「使われなかった力」の集積があります。

たとえば、新規事業への挑戦、若者の雇用、給与のベースアップ、地域社会への投資、技術革新への冒険──。それらが見送られ、保留され、未来のどこかに凍結されている。

内部留保とは、言ってみれば“凍った時間”なのです。

その時間は、企業の中に静かに眠っている。
誰かがそれを解かない限り、永遠に眠り続ける。
それを動かすのは、「必要」と「希望」の熱。

なぜ企業は凍るのか──税と制度の話

企業は合理的です。人間よりもずっと冷静に判断します。内部留保を積み上げているのは、ただ単純に「余っているから」ではありません。使うことにリスクがあるからです。あるいは、使っても報われない環境があるから。

たとえば、税の仕組み。
配当をすれば法人税に加えて配当課税。
給与を増やしても社会保険料が重くのしかかる。
投資しても、減価償却の恩恵が薄く、回収に時間がかかる。

使えば使うほど、国に取られてしまう。だったら、使わない。そうして企業は「使わないことが正解」という思考に落ち着きます。

だからこそ、私たちは問い直すべきです。
この国の制度設計は、「使うこと」が本当に報われる仕組みになっているのか。

企業という“個”が、自らを犠牲にしてでも社会に還元したくなるような「気候」は整っているのか。あるいは、ますます自衛の殻に閉じこもらせるような、冷たい風ばかりが吹いているのか。

国家と企業──矛盾する生態系

国家は今、財政危機だと言って増税や節約を進めています。
しかし、企業に「お金を使え」「賃上げしろ」とも言います。

まるで、冷え切った部屋で「なぜ暖かくならないんだ」と叫びながら、暖房の電源を切っているようなもの。税という“熱”を奪われ続ける環境で、内部留保という氷は溶けることがありません。

企業が本当に動き出すには、「流すこと」に報酬がある世界が必要です。
つまり、使ったお金が社会を巡り、誰かの暮らしを温め、その温かさが再び企業にもどってくる──そんな「循環」の設計こそが問われているのです。

哲学的な問いとしての“内部留保”

この話を経済や制度の問題にとどめたくはありません。

企業の内部留保が増える社会とは、私たち一人ひとりの心にも通じていると思うのです。余力を出さない。繋がらない。挑戦しない。自分を守る。

私たちが社会の中でどのように「流れ」と関わるのか。
関係性を恐れず、矛盾や不確実さの中で、自分の力をどこまで開放できるのか。
そのことが、企業と国家の姿にも映し出されている。

つまり、内部留保とは、企業だけでなく社会全体が問われている“鏡”なのだと、私は思います。

終わりに:空にまれに咲く

「空にまれに咲く」──

空のように見えない世界に、たしかに咲くもの。
それは、私たちが見ようとしない、あるいは見落としがちな“静かな現実”。

企業の内部留保という小さな数字の積み上げの中に、現代社会の哲学的な問いが潜んでいます。そこから私たちは、関係性・自立・合理性・不条理、そして希望について考え直すことができる。

使われなかった「時間」と「力」を、どうやって社会に巡らせていけるか──
この問いを、私はしばらく手放すことができそうにありません。

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