祖父との時間と思い出──空に還る前の家族の物語

家族と向き合う

お盆に実家に帰って

4月との違いを感じた祖父の姿

お盆に実家に帰った。その時、祖父を見たら、4月の筋蒔きの時に帰ったときと明らかに様子が違った。痩せて、生気が弱っているように感じた。顔色は少し青白く、歩くときの足取りもゆっくりで、いつも元気に畑を駆け回っていた祖父の姿とはまるで違った。テレビを見る姿、手を動かす仕草、声のトーン――どれも以前より静かで穏やかだった。

後日知らされた祖父の病状

後日、兄から連絡があった。祖父が肺がんだったと。治療は行わないとのことだった。死に抗わない姿を見て、祖父はもうすでに「空」に生きているのだと感じた。祖父は自分の人生の終わりを受け入れ、自然に還る準備をしているように思えた。その静かな覚悟は、私たち家族に言葉以上の何かを伝えている気がした。

家の成り立ちを知る

初めて聞いた家の歴史

2年ほど前、私が実家に帰った際、祖父とお酒を飲んだ。その時は、大叔父(祖父の弟)が亡くなり、一緒に飲む相手がいなかったため、酒好きの私と飲んでいたのだと思っていた。
そのとき、私はこの家の成り立ちを初めて聞くことになった。本家からどのように分家し、どこの家との縁でこの家が続いてきたのか、祖父の口から直接聞くことができたのは初めてのことだった。
祖父の語る家の歴史には、家族の苦労、この土地のこと、お金のこと、そして助け合いの記憶が詰まっており、話を聞きながら時間の重みを感じた。

聞くべき瞬間を直感した私

話を聞いていたのは私だけだった。母は「飲みすぎるな」という意味を込めて、もう飲むのをやめろと言ってきた。しかし私は、祖父と飲むのをやめなかった。祖父の話を、私はきっと「今、聞くべきだ」と直感したのだと思う。
その瞬間の空気、祖父の奥にある「伝えたい」という覚悟が、私の胸に深く刻まれた。家族の歴史を知ることは、ただ昔話を聞くことではなく、自分自身のルーツを理解することでもあった。

幼少期の祖父との思い出

夏休みのお昼ご飯

小学生の頃、夏休みには母が仕事でいなかったため、お昼ご飯は祖父が作ってくれることもあった。油のギトギト感がある、味付けの濃い野菜炒めや、取れたてのトマト。どれも祖父の手から生まれると、特別な味になった。祖父が笑いながら「もっと食べなさい」と声をかける瞬間、家の中は温かさで満ちていた。

風邪を引いたときのラーメン

風邪を引いたときには、祖父にラーメンを食べに連れて行ってもらった。そのラーメンを食べると、熱やだるさも少し和らぎ、心まで温まるような気がした。あの時のラーメンは味そのもの以上に、祖父の優しさや愛情が染み込んでいたように思う。

祖父の人生と生き様

労働と自然の中で生きた日々

祖父は生涯、畑や田んぼ、季節ごとの仕事に真摯に向き合い、自然のリズムと共に生きてきた。春の筋蒔き、夏の草取り、秋の収穫……そのすべてが祖父の生き様そのものだった。手を土で汚しながらも、どこか楽しそうに働く姿は、私に「生きることの尊さ」を教えてくれた。

生まれ老いることの意味

祖父の生き方を見ながら思ったのは、生まれ老いるとは、空から生まれ、自分という主体を見つけ、その主体を社会や世界、宇宙へと広げること。そして最後には、再び空と一体となることだということ。祖父は、まさにその循環の中で生き、私たちに生きる意味の一端を示してくれていた。

祖父の存在を次につなぐ

空に還る祖父

祖父はこれから「空」に還る。どれくらいで還るのかは、まだわからない。ただ、祖父という「色」は、私や家族、この世界に確かに「空」として残っている。思い出のひとつひとつ、教えられたこと、共に過ごした時間は、今も私たちの心に生き続けている。そして還るその時まで、祖父の存在を、そっと確かめていたい。

家族の関係性を未来へ

祖父との関係や思い出――「空」を、次の世代へつなぐことは、私たちにできる大切なことだと感じる。祖父が教えてくれた日常の小さな出来事や言葉は、これからも家族の中の「空」として生き続け、私たちの行動や思いの中に形を変えて――「色」として現れるだろう。

色即是空──祖父の生き方に学ぶ

祖父との思い出を振り返ると、まさに「色即是空」という言葉が浮かぶ。目に見える「色」としての存在、つまり祖父の手や声、笑顔や言葉は、一時的に形を持ちながらも、最終的には空へと還る。それは、祖父の生き様が「空」と一体となり、私たちや家族の心の中に「空」として残ることを示している。祖父の存在は、形を変えても消えることはなく、常に空の中で循環しているのだ。

色即是空を日常に活かす

祖父の思い出を通じて学べるのは、「色即是空」は単なる仏教の教えではなく、日常生活の中で生きる智慧だということだ。私たちは形あるものや人との関わりを通じて、多くを学び、愛し、感謝する。しかしそれらは永遠に固定されたものではなく、いずれ空へ還る。だからこそ、今ここにある一瞬一瞬を大切に生きることの意味が、より深く胸に響くのだ。

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