リーマンショックから始まった“ドル幻想の延命”
リーマンショックで露呈したのは、ドルという通貨を支える“米国の供給力の脆弱さ”だった。
本来であれば、2008年の崩壊後に金融システムは実体経済に立脚した形──いわばMMT的な再構築を行うべきだった。
だが現実は逆だった。ドルの信頼を延命させるために「ステーブルコイン」という新たな虚構が生まれ、その裏で実体経済の犠牲が続いている。
一方、トランプによる強硬な関税政策は、その空洞化した国力を「物理的な壁」で補強する試みでもあった。
今、私たちは“幻想の安定”を信じるか、“現実の再生”を選ぶかという分岐点に立たされている。
グローバル化が生んだ「国力の空洞化」
強いドル、弱い国内
アメリカのドルは、いまや「世界の基軸通貨」として揺るぎない地位を誇っている。
しかし、皮肉なことにその裏で、アメリカ国内の産業構造は大きく崩れていった。
グローバル化の波に乗り、製造業は人件費の安い国々へと移転。
国内の工場は次々と閉鎖され、労働者層の生活基盤は失われていった。
ドルは強いが、アメリカの“生産力”は弱くなる──そんな矛盾が進行していた。
金融の繁栄が生産の衰退を招く
「モノを作る」よりも「お金を動かす」方が儲かる社会。
それが、90年代以降のアメリカ経済の実態だった。
金融による利益が国家を潤す一方で、その豊かさを支えるべき“実体経済の土台”は静かに痩せ細っていった。
そしてついに──
2008年、リーマン・ブラザーズ破綻によって、その歪みが表面化する。
リーマンショックが露呈した「供給力の乏しさ」
リーマンショックは、単なる投資バブルの崩壊ではなかった。
それは「ドルという通貨の裏付け=米国の供給力の限界」を暴いた事件だった。
「金融は回っているのに、モノが作れない」──
これは、通貨が実体から乖離した瞬間だった。
ドルの信頼は、数字の上では保たれても、現実の経済力では支えきれなくなっていたのだ。
ドルを支えるために生まれた“幻想”──ステーブルコイン
ステーブルコインという「新たな錬金術」
ドルを安定させるために登場したのが、ステーブルコインという仕組みだ。
表向きは「ドルに価値を連動させた安全なデジタル通貨」。
だが実際は、ドルの信頼を延命させるための“もう一段の虚構”に過ぎない。
ドルが揺らぎ始めたとき、「ドルを支える新たなデジタルの顔」としてステーブルコインは機能した。
つまり、ドルを安定させるために、ステーブルコインという幻想を作り出し、その維持のために実体経済を犠牲にしているという構図である.
米国債の買い支えと実体経済の切り捨て
ステーブルコインの発行体は、裏付けとして米国債を大量に保有する。
つまり、ドルを支えるためにステーブルコインを使い、ステーブルコインを支えるために米国債を買う──自己循環的な構造ができあがっている。
その裏では、資本がどんどん金融市場へ吸い上げられ、生産現場や地域経済はさらに疲弊していく。
「ドルのために国家を犠牲にする」という逆転した現象が進んでいるのだ.
世界内紛の誘導とステーブルコイン需要の拡大
非常に興味深いのは、地政学的な動きとの連動である。
世界各地で紛争や不安定化が起こるたびに、
資金は「安全資産」としてドルやステーブルコインへ流れる。
結果、「世界の混乱がドルを強くするという倒錯したメカニズムが出来上がった。
言い換えれば、内紛や分断が“ドルの延命装置”として機能しているともいえる。

トランプ関税──逆三角形を支える“筋トレ”的補強策
関税という物理的な壁の構築
この歪んだ構造が進行する中で、トランプ大統領は強硬な関税政策を打ち出した。
輸入製品に高関税をかけることで、アメリカ国内の製造業を守ろうという意図である。
だがその目的は単なる産業保護ではない。
それは、逆三角形状の金融構造の下層──つまりアメリカの国力を補強するための、物理的な壁を張るような補強政策だとも言える。
製造業の再興と国力の補強
輸入を絞り、国内産業を復活させる。
それは生産拠点を国内に戻し、労働者の雇用を取り戻すことでもある。
この政策は、金融構造の脆弱な土台を厚くするための“国力回復運動”として機能する。
すなわち、ドルの信用を地上から支えるための再構築だ。
関税は信用構造を維持する“筋トレ”である
トランプの関税は、金融政策というよりむしろ地政学・国家戦略に近い。
空洞化した国力を、関税という手段で補強しようとする。
それは、信用構造を延命させるための筋トレのようなものである。
関税がうまく機能すれば、ドルを支える土台──つまりアメリカ自身の国力──を強めることができる。
逆に失敗すれば、逆三角形は崩壊の危機を迎える。
金融システムという“道徳なき秩序”
道徳よりも「維持」を優先する世界
金融システムを支えているのは倫理ではなく、構造的必然だ。
人々が信じ続ける限り、通貨は動き、システムは維持される。
その過程でどれほどの国が疲弊しようと、どれほどの格差が拡大しようと、「システムを壊さないこと」が最優先されてしまう。
まるで、崩壊を防ぐために自らを壊し続ける装置のように。
「豊かさ」の裏にある犠牲
私たちが享受する便利さやデジタルの快適さの裏では、ドルを支えるための歪みが広がっている。
ステーブルコインという幻想が、実体経済の犠牲の上に成り立っているとすれば──
その「豊かさ」は、果たして本当の豊かさと言えるのだろうか。
結び──幻想の中で、何を信じるか
リーマンショックを経て、ステーブルコインが誕生し、金融はますます「虚構の上に成り立つ現実」となった。
ドルは依然として世界の基軸通貨であり続けている。
だがその基盤は、かつてのような“国力”ではなく、幻想と信仰によって支えられた構造的依存である。
金融における“安定”とは、誰かの不安を前提に生まれるもの。
戦争、混乱、紛争──それらがドルの信用に燃料を与える。
私たちは今、「金融システムを信じること」そのものが問い直される時代を生きている。







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