デフレが生んだ食の二極化──「美味しいもの」が富裕層だけのものになる時代

社会と向き合う

デフレ経済が食文化に与える影響

食を楽しむ余白の喪失

妻がタイミーで寿司屋に働きに行った。そのときの妻の感想は、デフレ下の食文化を象徴していた。レビュー欄には「まかないが美味しい」と書かれていたが、実際に食べてみると「まずく」、とても人に誇れるような味ではなかったという。さらに厨房の裏側は整理整頓されておらず、作業も雑。スタッフは忙しさに追われているわけでもないのに、緊張感や改善の姿勢が見られない。

こうした現場の光景は、デフレ経済がもたらした「妥協の文化」の表れである。消費者は「安いからこの程度で仕方ない」と思い、経営側も「このレベルで売れるなら十分だ」と考える。結果として、食は文化や楽しみの対象ではなく、「空腹を満たす行為」にまで矮小化されてしまう。

フードチェーン横行と味覚の低下

日本中の街を歩けば、フードチェーン店が目につく。安く、手軽で、味も「それなり」に揃っている。消費者にとってはありがたい存在だが、その代償として「舌の感覚」が確実に鈍くなっている。

私自身、妻ととあるうどんチェーン店に立ち寄ったときに、その現実を実感した。食材本来の旨味は抜け落ち、砂糖などの甘味料で無理にごまかしている。決して「美味しい」とは言えない仕上がりだった。

それでも多くの人が「この価格でこれなら十分」と納得してしまう。その納得の積み重ねこそが、味覚の基準をじわじわと下げていく。結果として、本当に美味しいものとそうでないものの差を感じ取る力が弱まり、「味覚の劣化」が進んでしまうのだ。

さらに、デフレ経済は価格競争を加速させる。店側は原価を抑えるために食材の質を落とさざるを得ず、調理も効率優先へと傾いていく。その繰り返しが「食文化の劣化」という悪循環をつくり出しているのである。

デフレ経済下での「偽の経営」の現実

タイミーに頼らざるを得ない現場

妻が担当したホール業務では、料理を運ぶ際に料理名を事前に知らされることはなかった。提供直前になって初めて、妻はスタッフに「これ、〇〇ですか?」と確認する。すると返ってくるのは、「んー、それで!」という曖昧な返事だけ。結局、妻は常に不安を抱えながら料理を運ぶしかなく、無駄な確認の繰り返しがサービスの質を圧迫していった。

このやり取りは、現場に明確なマニュアルや仕組みが存在していないことの証拠である。料理の提供精度やスタッフの安心感よりも、その場を「なんとなく回すこと」が優先されている。こうした姿勢は、消費者に不信感を与えるだけでなく、働く側の成長やモチベーションをも確実に奪っていく。

お客より収益優先の経営

こうした寿司屋の経営姿勢は、「お客の満足」よりも「当座の利益」を重視しているように見える。スタッフを育てず、サービスの質を高める努力を怠り、ただ目先の売上を稼ぐことに終始する。それは経営ではなく「商売の延命」にすぎない。

経営とは本来、人と人、人と食、人と物をつなぐ行為である。お客に良い体験を提供し、スタッフを育て、地域に貢献する。その循環があって初めて経営は文化的な意味を持つ。しかし、デフレ下ではその本質が忘れ去られ、経営が単なる「金のやり取り」に矮小化されてしまう。

改善意識の欠如

妻の体験に見られるように、現場の問題は改善されず放置される。仕組みを整えるよりも「とりあえず回っていればいい」と考える。だが、それは時間が経つほどに質の低下を招き、やがて店全体の信用を失わせる。

デフレ経済は、こうした「改善を怠る経営」を生き残らせる。安いから仕方ないと客が妥協するため、経営者も努力をしなくなる。これは単なる外食産業の問題ではなく、日本社会の縮図である。

富裕層だけが享受する「本物の味」

高級食材と丁寧な仕事

本当に美味しい料理には、手間とコストがかかる。新鮮で安全な食材を仕入れるためには費用が必要だし、調理に時間をかければ効率は落ちる。その結果、質を追求する店は必然的に高価格帯となり、富裕層だけが本物の味を楽しめるようになる。

食の二極化

こうして食の世界は二極化する。

  • 大衆層はフードチェーンや安価な外食に慣れ、舌が平凡な味に慣らされていく。
  • 富裕層は高級店で文化的価値を含む「美味しさ」に触れ続ける。

この二極化は単に「食べ物の問題」ではなく、文化や感性そのものに格差を生じさせる危険を孕んでいる。

味覚と文化の格差

味覚の差は、やがて文化の差になる。子どもがどのような食に触れるかは、感性の発達に直結する。安価で効率だけを追う食事ばかりでは、豊かな想像力や感性を育みにくい。食の格差は、そのまま文化的な格差へとつながるのだ。

インフレ経済と食文化の再生可能性

インフレ下での消費者意識の変化

インフレ経済では、消費者の心理が変わる。「どうせ高いなら、本当に美味しいものを」と求めるようになる。すると、店も競争に勝つために味やサービスを磨かざるを得ない。結果として淘汰が起こり、質の低い店は退場し、良い店が生き残る。

経営の本質を取り戻すチャンス

経営とは、単に利益を上げることではない。人と人、人と食、人と物を繋ぎ、社会に価値を提供する行為だ。インフレは、その原点を経営者に突きつける。デフレでは延命できた「偽の経営」は、インフレでは淘汰される。逆に、本当に価値を提供する経営者には追い風となる。

味覚と感性の再教育

消費者自身も問われている。食べることを単なる行為とせず、五感を使って味わい、楽しむ意識を持つこと。少し高くても本当に美味しいものを選び、子どもに体験させること。それが味覚を磨き、感性を育み、文化を次世代に繋ぐ営みとなる。

結論──「経営」と「食文化」を取り戻すために

妻が寿司屋で見た光景は、デフレ経済下の日本が抱える問題を象徴していた。

  • スタッフを育てず、タイミーに頼らざるを得ない現場
  • サービスよりも利益を優先する経営
  • 食を楽しむ余白を失った消費者

これらはすべて「デフレが生んだ妥協の文化」である。

本当の経営とは、人と人、人と食、人と物を繋ぐ行為だ。食を通じて感性を育み、文化を次世代へ受け継ぐ営みである。実質的なデフレが続く限り、こうした本質は軽視され続けるだろう。しかし、実質的なインフレの波が訪れたときこそ、私たちは経営の本質と食文化の価値を取り戻すチャンスを得るのかもしれない。

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