繰り返される「呪文」の裏側
「消費税は、社会保障のために必要だ」
この言葉は、もはや日本の政策議論において不可侵の聖域と化している。
異を唱えれば、感情論だの、ポピュリズムだのと片づけられ、議論は始まる前に終わる。
だが、感情を脇に置き、
「お金の流れ」という物理的な循環だけを見つめ直すと、まったく別の風景が立ち上がる。
そこにあるのは、弱者を支える再分配ではない。
国家が、国民という土壌を枯らし、
資本という枯れ木に点滴を打ち続ける、
「無意識の集金システム」の姿である。
「生存」そのものに課される罰則―― 究極の逆進性
消費税の最大の特徴は、その逃げ場のなさにある。
所得税は、「稼がなければ」かからない。
法人税は、「利益が出なければ」かからない。
しかし、消費税は違う。
食べる。
着る。
住む。
人と会う。
人間が生命を維持し、社会の一員として存在するための、
あらゆる行為に網がかけられる。
低所得者ほど、収入のほぼすべてを消費に回さざるを得ない。
結果として、所得に対する税負担率は、貧しい人ほど重くなる。
これは再分配ではない。
人が生きるために必要な「土壌の水」を、
国家がストローで吸い上げているに等しい。
消費税とは、生存への罰金である。
「人」を「モノ」へと格下げする税制の歪み
消費税がもたらす悲劇は、家計の圧迫に留まらない。
それは、人間の労働を「コスト」として罰する、経営判断の歪曲である。
現在の制度では、
- 自社で雇用する従業員に支払う「給料」は控除対象にならない
- 派遣会社への外注費や、ロボットの購入代金は控除できる
国家は税制を通じて、こう囁いている。
「人を直接雇うのは損だ。
派遣や機械に置き換えれば、税金をまけてやる」
消費税は、人と人の関係である「雇用」を破壊し、
社会を無機質な「仕入れ」の集合体へと変質させる装置だ。
「食料品0%」という名の断絶―― 軽減税率が招く「人間排除」
いま、選挙戦の争点として
「食料品の消費税0%」というマニフェストが躍っている。
一見、福音に見えるこの政策の裏には、
外食産業という文化圏を壊滅させる毒が仕込まれている。
もし、
- 食料品の仕入れが0%
- 外食の売上が10%のまま
となれば、飲食店は深刻な「納め損」に陥る。
仕入れで控除できる税がなくなり、
客から預かった税だけを納め続ける構造になるからだ。
この「地獄の差額」から逃れるため、
店に残された道は二つしかない。
- 従業員の派遣化
- ロボットへの置き換え
「0%」という甘い響きは、
地域の活気を支える飲食店から人間味を剥ぎ取り、
街を無機質な「給食工場」へと変えていく。

輸出還付金―― 誰も責任を負わない「逆・仕送り」
消費税が「社会保障のため」という看板が虚偽であることを示す、
最も冷徹な証拠が輸出還付金制度だ。
流れは単純である。
- 国民が日々の消費で消費税を支払う
- 国がそれを回収する
- 輸出大企業には、仕入れ時に支払ったとされる税が還付される
結果として何が起きているか。
国民が納めた税金が、
そのまま大企業の営業キャッシュフローに直結している。
消費税は、
「国民 → 国家 → 輸出大企業」
という富の移転パイプとして機能している。
国家が拒んだ「新陳代謝」と未来の切り売り
「大企業がいなくなっても、新しい芽が出る」
これは経済の基本的な新陳代謝(ダイナミズム)である。
だが現実の国家は、
既存の巨大企業を「なくてはならない存在」として扱い、
税制や補助金で過剰に保護してきた。
その結果、
- 新しい企業が育つ土壌は奪われ
- 国民の購買力は消費税で削られ
- 子育て世代は圧迫され
- 少子化が加速する
経済における「土」は国民の消費力であり、
「水」は通貨の循環である。
土を干上がらせたまま、
木にだけ点滴を打っても、果実は実らない。
それでも国家は、「財政赤字」や「国の借金」という
家計簿レベルの論理に逃げ込み、
最大の資産である「子ども(人間)」を犠牲にしてきた。
未来を守るために、未来そのものを食いつぶす。
それが、いまの税制の正体だ。
「部分最適」という名の無責任な暴走
なぜ、これほどまでに歪んだシステムが平然と維持されているのか。
それは、誰か一人の「天才的な悪党」が操っているからではない。
むしろ、
「全体を俯瞰する人間がいなくなり、全員が自分の職務だけを全うした結果」
である。
官僚
財務省は「確実な税収」を追い、経産省は「企業の数字」を追う。
それぞれが省益という「個」のノルマを達成した結果、
国民の生活(全体)が削られていることを、誰も責任として引き受けない。
政治
小選挙区制は、政治家から「長期的ビジョンを競う余白」を奪った。
目先の支持率に汲々とする政治家にとって、
財務省が差し出す「安定財源」は最も安全な選択肢となった。
思考停止
「国の借金が大変だ」という矮小化された議論が、
最大の資産である「次世代(子ども)」を圧迫している矛盾に、
誰も答えを出そうとしない。
結論:設計図は書き換えられる
消費税は、社会保障を支える柱ではない。
それは、責任から逃げた国家が生み出した管理装置である。
だが、このシステムもまた、人間が設計したものに過ぎない。
- 逃げる企業を追うのをやめる
- 「数字」より「人間という土壌」の回復を優先する
- 給与を控除対象外とする「労働への罰則」を廃止する
土に水をやらんで、どうする
この当たり前の理屈を、
再び政治と経済の中心に据え直さなければならない。
設計図が間違っているなら、書き換えればいい。
ハンドルを握り直し、国民という土壌に水を戻す。
そのとき初めて、
この国は再び芽吹くことができる。







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