消費税と移民政策──未定義の価値を圧縮する装置
消費税は、単なる財源確保の仕組みとして語られることが多い。
移民政策もまた、人手不足や多様性の確保という文脈で語られる。
だがこの二つを並べて見ると、まったく別のものが立ち上がってくる。
それは、社会を一つの土俵に揃え、未定義の価値を圧縮する装置
という共通した構造だ。
消費税は「集金装置」ではなく「形を揃える装置」
消費税は公平な税だと言われる。
誰が売っても同じ税率。
大企業も個人商店も同じ。
理屈としては美しい。
しかし現実に起きているのは、公平ではない。
同一化だ。
- 同じ帳簿。
- 同じ請求書。
- 同じ説明責任。
- 同じスピード。
規模も、体力も、思想も関係なく、全員を同じ制度の中に押し込む。
一度乗せられたら、この土俵から降りることは許されない。
未来の価値は、最初から数値化できない
ここで重要な前提がある。
今、数値化できないものは、
「価値がない」のではない。
まだ価値の定義が終わっていないだけだ。
歴史を振り返れば明らかだ。
- インターネットも、
- サブカルチャーも、
- ローカルな商いも、
- 発酵や職人技も、
最初はすべて、
- 非効率で
- 利益が薄く
- 説明しにくく
- 数字が汚かった
最初から価格が綺麗だった価値など、一つもない。
消費税が行っている「時間軸の暴力」
消費税は、この未完成な価値にこう要求する。
- 帳簿を整えろ。
- 価格を確定しろ。
- 説明責任を果たせ。
- 税率を乗せろ。
これは、
将来どう価値化されるかわからないものに、今すぐ完成形を求める行為
だ。
未来の芽は、芽であるがゆえに不格好で、曖昧で、数字にならない。
その芽に対して、完成した制度の顔をしろと迫る。
結果どうなるか。
芽は育つ前に、死ぬ。
移民政策も、同じ構造を持っている
ここで移民政策を見てみる。
移民政策は、しばしばこう語られる。
- 多様性が生まれる
- 人手不足を補える
- 文化が混ざり合う
一見、前向きだ。
だが実際に移民が直面するのは、こういう現実だ。
- 同じ税制。
- 同じ労務管理。
- 同じ価格競争。
- 同じ生産性基準。
つまり、違った文化や価値観を持ったまま来てください、
ただし制度には完全に同化してください
という要求。
数値化できない文化は、最初から不利になる
移民が持ち込む価値の多くは、
- 人との距離感
- 信頼の作り方
- 時間感覚
- 働く意味の置き方
といった、数値化しにくいものだ。
だが消費税と制度社会では、
数字にならないものは、存在しないものとして扱われる。
結果、評価されるのは、
- 安さ
- 早さ
- 従順さ
だけになる。
これは多様性ではない。
労働力の平均化だ。

日本の小商いも、移民の文化も、同時に削られる
重要なのは、これは「日本人 vs 移民」の話ではないということだ。
- 日本の小さな商い
- 個人の芸
- 移民が持ち込む文化的価値
これらはすべて、同じ土俵に乗せられ、同じ尺度で削られる。
消費税 × 移民政策とは、
未定義の価値を一掃する構造
だ。
多様性とは「違い」ではない
多様性とは、違う人が同じルールで競うことではない。
違ったまま、生き延びられる余白のことだ。
だが消費税と移民政策は、その余白を徹底的に削る。
違っていていい。
ただし、耐えられる範囲でのみ。
耐えられない違いは、排除されない。
ただ、続けられなくなる。
文明は、完成度によって終わる
文明は、外から壊れて終わるのではない。
- 制度が洗練され
- 公平が徹底され
- 例外が消え
その完成度の高さによって、未来を内側から窒息させる。
そして芽は、制度の外からしか生まれなくなる。
結論
消費税は、国民から金を奪う税ではない。
移民政策も、多様性を増やす政策ではない。
これらは共に、
社会から、未定義の価値と未来の芽を奪う構造
だ。
文明が完成しすぎたとき、芽はいつも外側に逃げる。
今、外側に何が残っているのか。
そこにしか、次はない。







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