※この記事では、「色」や「空」といった『色即是空』の概念を扱っています。
※「色」と「空」、そして『色即是空』の意味をより深く知りたい方は、以下の記事で詳しく解説しています。
受けた一発──ただの色
今振り返ると、中学2年生の頃のある小さな出来事が、私にとって深い学びのきっかけだったことに気づく。
休み時間、友達に軽く1発殴られたことがあった。
その1発は、ただの「色」でしかなかった。
その色の裏に「空」はなく、意味も深みもなく、ただ瞬間的に存在した行為だった。
でも当時の私は、それをただ受け流すことができず、イラッとした感情のまま、軽く1発殴り返してしまった。
色に色を返した瞬間の虚しさ
その瞬間は正しいと思えた。
反射的な正義感や、負けたくない気持ちに駆られての行動だった。
でも、殴り返した直後に、胸の奥から虚しさがじわりと広がった。
涙が込み上げてきたけれど、それは殴られたことへの悲しみではなかった。
むしろ、自分が殴り返したことの虚しさに対する涙だった。
「なぜ、殴り返したんだろう」
自分の行動を振り返るたびに、悔しさと後悔が入り混じる不思議な感覚があった。
先生が気づき、最初に殴った友達に謝らせてくれたとしても、心は晴れなかった。
問題は謝罪や正当性ではなく、自分の行動そのものにあったのだ。
意味のない色の裏にあるもの
あの時はわからなかったけれど、今振り返ると、あの体験には「色と空」の関係があったのだと思う。
仏教の言葉に「色即是空、空即是色」というものがある。
あの時の「色」は、殴られた1発や、それに反応して殴り返した自分の行為。
そして「空」は、その背後にある虚しさや悔しさ、行動の選択肢の広がりだった。
意味のない色に色で返すことは簡単で、瞬間的にはスッキリするように思える。
でも、その裏には、心の空が静かに映り、虚しさや後悔を教えてくれていたのだ。
あの涙は、殴られたことへの涙ではない。
色に色で返した自分自身と向き合った結果の涙だった。
虚しさの中に、心の空がほんのり顔を出していた。
虚しさを知ることで得られた学び
14歳の移ろいやすい心に、この経験があったことは、ある意味で幸運だったのかもしれない。
色に色で返すことの虚しさを知ることで、私は少しずつ、行動の意味や心の色を理解できるようになったのかもしれない。
虚しさや悔しさは、ただの感情ではなく、自分の内面を映す鏡のようなものだ。
その鏡を通して、自分がどんな心を持ち、どんな行動を選びやすいのかを知ることができる。
あの日の涙は、瞬間的な正義感や反射的な感情を超えて、行動の意味を知る小さな気づきだったように思う。
色の裏にある虚しさの存在に気づいたことで、色と空の関係を理解する最初の一歩を踏み出せたのかもしれない。
今、あの時の自分に伝えたいこと
もしあの時の自分に伝えられるなら、こう言いたい。
「色に色で返すことは簡単だ。でも、心の空を感じて行動を選ぶことができれば、虚しさの中に学びが生まれる」
あの日の私は、感情のまま動き、虚しさに涙した。
でも、その経験があったからこそ、私は色と空の関係に気づき、自分の心を少しだけ客観的に見られるようになったのだ。
今振り返ると、あの1発も、返した1発も、意味(空)のない色のようでいて、私に大切な学びを与えてくれた。
虚しさを知ること、それ自体が、色と空を理解する小さな扉だったのだと感じる。

  
  
  
  






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