【致知3月号・感想】特集「是の処即ち是れ道場」──祖父の死が教えてくれたこと

致知感想

理解ではなく、体験が追いついた日

『致知』3月号の特集テーマは「是の処即ち是れ道場」
誌面をめくりながら、これは分かるようで、分かったつもりになりやすい言葉だと思った。

修行は特別な場所で行うものではない。
いま・ここが、そのまま道場なのだ――

頭では理解できる。
だが正直に言えば、それはどこか「きれいな言葉」のまま、自分の生活とは少し距離のある概念でもあった。

少なくとも、読む前までは。

修行は、整った場所で起こるわけではない

『致知』の特集では、経営者、指導者、職人、教育者など、さまざまな立場の人が「是の処即ち是れ道場」をどう生きているかが語られていた。

共通していたのは、彼らが理想的な環境で修行しているわけではないということだ。

  • 思い通りにならない現場
  • 人間関係の摩擦
  • 判断を誤れば責任を負う状況

そうした「逃げられない現実」の中でこそ、人は鍛えられていく。
読んでいるうちに、この言葉が少しずつ、観念から現実の手触りへと近づいてきた。

そして、その感覚を決定的なものにした出来事が、私自身の身にも起こった。

祖父の危篤という知らせ

ある日曜の朝、祖父が危篤だという連絡を受けた。長野から実家へ向かい、そのまま入院中の病院へ行った。

面会時間は15分。
あまりにも短く、それでいて妙に重たい時間だった。
病室は静かだった。

祖父の目は開いていたが、意識があるのかどうかは分からない。
呼びかけが届いているのか、私を認識しているのかも、確信は持てなかった。

その目の前に立ったとき、私は言葉を失った。

話せなかったという事実

本当は、祖父に伝えたいことがたくさんあった。

転職すること。
実家の近くに引っ越すつもりだということ。
これから農家の手伝いをしていこうと思っていること。

どれも、祖父に聞いてほしかった話だ。
だが、いざその場に立つと、それらの言葉はどれも薄く感じられた。

説明することが、何か大切なものをすり抜けてしまうような気がした。

妻が代わりに、祖父へ話してくれた。
私はその横で、ただ立っていた。

何も話せなかったことを、後悔と呼ぶべきなのかどうか、今も分からない。
ただ一つ、はっきりと感じたことがある。

言葉が意味を持たなくなる地点が、人と人の関係には確かに存在する

ということだ。

逃げ場のない時間が、道場だった

あとから振り返ると、あの15分間は、まさに「道場」だった。

  • 取り繕えない
  • 正解を出せない
  • 立派な言葉も役に立たない

ただ、「いま・ここ」に立たされる。

『致知』で語られていた「是の処即ち是れ道場」という言葉が、そのとき初めて、身体感覚として立ち上がった。
修行とは、何かをうまくやることではない。

反応している自分から、目を逸らさないこと。
その場に立ち続けること。

それが修行なのだと、祖父の前で、否応なく教えられた。

「またね」という、根拠のない言葉

面会時間が終わり、病室を出るとき、私は「またね」と声をかけた。

確信はなかった。
約束でもなかった。
それでも、嘘をついた感覚はなかった。

その面会の後、仕事のために自宅へ戻り、ほどなく母から電話が入った。
祖父が亡くなったと。
電話を切ったあと、胸に浮かんだのは後悔ではなかった。

「今日、行けてよかった」

その感覚だけが、静かに残った。

形が消えても、つながりは消えない

祖父は亡くなった。
それは事実だ。

だが、祖父が「いなくなった」とは、どうしても思えなかった。

祖父がつないできた土地がある。
守り続けてきた稲作がある。
選び続けてきた、暮らしの速度がある。

それらは今も、ここにある。

形は消えても、つながりまで消えるわけではない。

「どこで、どう生きるか」という問い

祖父の死を前にして、自然と一つの問いが浮かんだ。
自分は、どこで、どんな速度で、何と一緒に、生きていたいのか。

何を成し遂げるかではない。
何を残すかでもない。

どう生きている時間を重ねたいのか。

私は、実家の近くに戻り、農家の手伝いをしていくつもりだ。

効率は悪い。
合理的でもない。
評価にもつながりにくい。

それでも、そこが自分の生きる場所だと、腹に落ちている。

是の処即ち是れ道場

『致知』3月号を読み終え、そして祖父を見送って、ようやくこの言葉を実感として受け取れるようになった。

修行は、特別な場所に用意されているものではない。

家族との別れ。
選択を迫られる瞬間。
言葉を失う時間。

そのすべてが、すでに道場なのだ。

祖父はもう多くを語らない。
だが、祖父が生きた時間は、私たちの選択の中に、確実に息づいている。

この処、いま・ここで、どう生きるか。

『致知』3月号の特集「是の処即ち是れ道場」は、その問いを、静かに、しかし逃げ場なく、私の前に差し出してきた。

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