【致知7月号・感想】「一念の微」に学ぶ──未来を守るための私たちの選択

書籍と向き合う

揺らぎ始めた社会の安心感

致知7月号特集「一念の微」を読み、私は今の日本社会に対する静かな問いかけを感じました。

私たちが普通に暮らせているのは、これまでの時代を生きた人たちが少しずつ積み重ねてきた努力や知恵のおかげです。

しかし、その豊かさは、少しずつ揺らぎ始めているのかもしれません。

普通に暮らせることの背後にある努力

私たちの日常は便利で安定しているように見えます。

しかし、その裏には、長年にわたる人々の努力と知恵があります。

田んぼを守り、畑を耕し、季節ごとの作物を安定的に供給してきた先人たちの「一念の微」があったからこそ、私たちは今、安心して食卓を囲むことができるのです。

「お米の問題」に見える社会のほころび

最近、ニュースやSNSで話題になっている「お米の価格不安定」も、単なる一過性の現象ではありません。

長年かけて築かれた国内の農業の仕組みのほころびが、今になって表に出てきたと考えられます。

「足りなければ海外から買えばいい」「作ろうと思えば、また作れる」と簡単に言う人もいます。

しかし、一度休耕してしまった田んぼを元に戻すには何年もかかりますし、海外から安定して輸入できる保証もありません。

私たちが失いつつあるのは、「自国の食べ物を自分たちで作る」という当たり前の安心感なのです。

食を通して問われる価値観

国内の農業は、単に食べ物を作る営みではありません。

それは、私たちが「何を大切にするのか」という価値観を映す鏡でもあります。

短期的な利益や効率だけで判断すれば、便利さや安さに流され、手間や時間をかけて守ってきたものを軽視してしまう危険があります。

ここで私たちは自問する必要があります。

「私たちが本当に守りたいものは何か」

「未来に残したい豊かさとは何か」

その答えは、日々の選択や行動の積み重ねの中にこそあります。

「自分たちの手で守る」という覚悟

「誰になんと言われようとも、日本の米は、日本で作る」——

この信念は、単なる農業政策の話ではなく、未来に希望をつなぐ私たちの覚悟です。

食を自分たちの手で守ることは、目先の利益や効率に左右されず、次の世代に安心と誇りを引き継ぐための選択です。

小さな努力の積み重ねが未来をつくる

「一念の微」とは、小さな努力や気づきの積み重ねです。

それは、日常の中で意識しなくても続けられることかもしれません。

しかし、それを積み重ねることで社会は支えられ、未来への希望は形になります。

私たち一人ひとりの小さな行動が、次の世代に大きな影響を与えるのです。

過去の知恵に敬意を払い、現代に向き合う

過去の知恵を尊重することは、ただ懐かしむことではありません。

現代の課題に真剣に向き合い、問題の本質を理解し、行動に移すことです。

農業に限らず、教育や地域コミュニティ、社会インフラなども同じです。

「過去の努力を無駄にしない」という意識が、私たちの選択の基盤となります。

子どもたちに残したい安心と誇り

これから生まれてくる子どもたちが、「この国に生まれてよかった」と思える社会を育てること。

それは、今を生きる私たち自身の生きる力や誇りにもつながります。

目先の便利さや効率だけにとらわれず、長期的な視点で社会を見つめ、行動することが、次の世代への贈り物になるのです。

未来は今の選択の先にある

未来は偶然に生まれるものではありません。

私たちの小さな選択と行動の積み重ねによってつくられます。

今日できること、明日意識できること、そして少し先の未来を考えた行動。

それが、次の世代に希望をつなぐ道になります。

※この記事は、雑誌『致知』(2025年7月号)の特集「一念の微」を読んでの個人的な感想です。
気になる方はぜひ、実際に手に取って読んでみてください。

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