【致知12月号・感想】特集「涙を流す」──子どもたちへ、言葉という灯を残して

致知感想

涙とともに、子どもたちへ残す言葉

私は『致知』を開く前に、まず特集テーマだけを見て、そこから感じたことを言葉にしている。
私にとって、そのテーマは「問い」だ。
――お前なら、この言葉から何を語れる?何を感じる?と。

そうして、自分の内側に浮かんだ想いを確かめるように、ページをめくっていく。
まるで答え合わせをするように。
たいていの場合、誌面に書かれた他者の言葉には、私の言葉とどこか共通する響きを感じている。
あらかじめ自分の言葉を持って読むということは、世界の見え方を自分の意志で選ぶということだ。
そのとき、他者の言葉は教えではなく、対話に変わる。

今月号(12月号)のテーマは「涙を流す」だった。
この言葉を目にした瞬間、最近、ふと涙がこぼれた場面を思い出した。

私は日常の中で生まれた小さな問いや、作品との出会いを、そっと言葉にして残している。
感情が揺れた瞬間――その正体を知りたくなる。
だから、心に触れたことを言葉にしておきたくなるのだ。

それは、子どもたちのためでもある。
生きていれば、直接伝えられるだろう。
でも、私は明日死ぬかもしれない。
いや、1分後にだって、そうなるかもしれない。

だからこそ、こうして言葉を残している。
もし子どもたちが、いつかこの言葉を読む日が来たらと思うと、自然と涙があふれてくる。
それは「生きて伝えたい」という願いの涙だ。

私が言葉を残す理由

感じたことを通り過ぎさせない

日々の暮らしの中には、小さな気づきや心がふれる瞬間がある。
子どもの寝顔を見たとき、誰かの言葉に胸が詰まったとき、季節の光の中でふと立ち止まったとき――
その一瞬の中に、かけがえのない「生きる実感」がある。

しかし、それをただの出来事として流してしまえば、心の深いところに届く前に、すぐに消えてしまう。

だから私は、言葉にして残す。
言葉にすることで、曖昧だった感情が形を持ち、ぼんやりとした想いが輪郭を帯びてくる。

言葉は、心の中の風景を留める装置であり、また、自分の中にある“真実”を確かめる鏡でもある。

書くたびに、自分の中の何かが整理され、また新しい視点で世界を見つめ直すことができる。
書くという行為は、ただ表現することではなく、「生き方そのもの」を見つめ直す時間なのだと思う。

言葉は未来への手紙

私が書く理由は、自己表現だけではない。
それは、いずれ私がいなくなったときに、子どもたちに伝えたいことがあるからだ。

「私はこんなふうに世界を見ていたよ」
「あなたたちを育てながら、こんな気づきを得たよ」

そんな想いを、そっとこのブログに刻んでいる。

言葉は、過去と未来をつなぐ橋のようなものだ。
そしてそれを渡るのは、いつか成長した子どもたち。

彼らがこの文章を読むのは、私がいなくなったあとだ。
けれど、それでいいと思っている。

子どもたちはまだ幼く、私の言葉の意味を深く理解できない。
けれど、人生のどこかで、何かに迷ったとき、誰かに傷ついたとき、ふとこの言葉に出会ってくれたら――
そのとき、少しでも心の支えになれば、それで十分だ。

言葉は、時間を越えて届く灯だ。
私はそれを、未来への“保険”として、そっと置いておきたい。
読まれないままで終わってほしい。
そう願いながら、書いているのだ。

涙と覚悟 ― 今を生きるということ

涙を流す――それは、もしかすると「覚悟を持つ」ということなのかもしれない。

涙は、感情のあふれた末に生まれるものだけれど、
そこには「自分と真剣に向き合った証」もある。
人は、本気で何かを想い、本気で誰かを大切にしたとき、涙を流す。

私たちの命は、秩序やルールの中に守られている。
朝が来て、夜が訪れる。
息をして、ご飯を食べ、笑い合う。
それはあたりまえのようでいて、実はひとつひとつが「奇跡の連なり」なのだと思う。

けれど、その秩序の外に一歩でも踏み出せば、1分後の命の保証など、誰にもない。
いや、たとえ秩序の中にいたとしても、いつ終わりが訪れるのかは、誰にもわからない。

だからこそ、もし私がいなくなっても、繋げたい想いがあるなら、
その可能性を閉ざさず、言葉として残し続ける覚悟が必要だ。

涙は、心がその覚悟に触れたときに流れるものだと思う。
それは悲しみの涙ではなく、「今を生きている」という実感の涙だ。

家庭の中でも、社会の中でも、“今ここにいる自分”として誰かに誠実に向き合うことは難しい。
しかし、だからこそ、それは価値のある行いなのだろう。

どんなに不完全でも、どんなに小さくても、
自分の言葉で世界を見つめ、大切な人に想いを伝える。
それが「生きる」ということの本質なのかもしれない。

終わりに ― 涙は、心が生きている証

涙は弱さの証ではない。
それは、心が自らの意志で動いている証だ。

子どもを想いながら流れた涙は、私にとって、「生きること」と「伝えること」がひとつに重なった瞬間だった。

涙は、過去の痛みを溶かし、未来の希望を静かに照らす。
人は涙を通して、再び歩き出す力を取り戻すのだと思う。

今日も私は、小さな気づきを言葉にして、この世界に、そっと残していく。
それが、私にできる“今を生きる証”だから。


※この記事は、雑誌『致知』(2025年12月号)特集「涙を流す」を読んでの個人的な感想です。
気になる方は、ぜひ実際に手に取って読んでみてください。

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