【致知9月号・感想】世界の崩壊から始まる挑戦

書籍と向き合う

小さな日常に潜む「世界の崩壊」

私の1歳の息子は、毎日、何度も挑戦しています。
たとえば、おもちゃが手からこぼれたとき。
お母さんが視界から消えたとき。

そのたびに涙を流します。大人にとっては「よくあること」「たいしたことではないこと」です。
けれど息子にとっては、その瞬間こそが「世界の崩壊」です。

この手にあったものが突然なくなり、目の前にいた大切な人が見えなくなる。
その小さな出来事が、彼にとっては「自分の世界そのものが壊れる」体験になっているのです。

涙に込められた問いかけ

しかし、息子の涙は単なる悲しみだけではありません。
そこには深い問いかけが潜んでいるように感じます。

「それでも、私は大丈夫だろうか?」
「世界はまた戻ってくるだろうか?」

彼は泣きながら、その問いに向き合っています。
やがて再びおもちゃを手にし、お母さんが戻ってくることで、少しずつ「世界は壊れても戻ってくる」という確信を積み重ねていくのです。
息子は毎日、涙を通して世界を再構築している。そう思えてなりません。

致知9月号との出会い

致知2025年9月号の特集「人生は挑戦なり」を読んだとき、私はこの息子の姿を思い出しました。
誌面に登場する方々の生き方も、また「世界の崩壊」と向き合った経験に貫かれていたからです。

順調に見える人生の裏側で、大切なものを失った人。
信じていたものが根こそぎ崩れ去った人。
そうした人々が、それでも再び立ち上がり、新しい世界を築き上げてきた。

彼らの挑戦の姿に、息子の涙と重なるものを見たのです。

挑戦は「新しいことを始めること」だけではない

私たちは「挑戦」と聞くと、新しい事業を立ち上げるとか、未知の分野に飛び込むといった行為を思い浮かべます。
しかし、致知を読んで学んだのは、それが挑戦の一側面にすぎないということです。

挑戦とは、「世界観の崩壊」から始まる。
今まで信じていたものが壊れ、手にしていたものがなくなったとき、私たちは初めて「本当に大切なものは何か」と直面するのです。

これは、息子が体験していることと同じです。
小さな崩壊と再生を繰り返す中で、人は成長していく。

世界が壊れたときに必要なもの

では、世界が壊れたときに私たちは何を頼りにすべきでしょうか。
それこそが「理念」だと、誌面を読みながら強く感じました。

理念とは、「何を失っても、それでも貫きたいもの」。
それは、空っぽになった世界に新しい色を宿すための軸です。

ただ壊して、新しくするだけでは意味がありません。
想いがなければ、それは空洞にすぎないからです。
想いは、問いかけ、咀嚼するなかで初めて形を帯びます。

致知に描かれていた理念の力

致知9月号に登場した人々もまた、理念を支えにして歩んでいました。
逆境のなかで「自分が守りたいものは何か」を問い続け、そこから立ち上がる力を得ていたのです。

理念は、単なるスローガンではありません。
それは、痛みや喪失を通して生まれ、血肉となったもの。
だからこそ、他者の心をも動かし、共感を呼ぶのだと思います。

息子から学ぶ挑戦の姿勢

息子は、まだ言葉を話せません。
しかし、彼の涙と挑戦の姿勢から、私は大切なことを学んでいます。

世界が崩れても泣き、また立ち上がる。
その繰り返しのなかで、確信を積み重ねていく。
この姿勢こそが「挑戦の原型」なのだと思います。

私自身の挑戦へ

致知を読んで、私は改めて思いました。
自分もまた、挑戦し続けなければならないと。

理念を持ち、自分の想いを咀嚼し、時に壊しながらも再び築き直す。
そして、その過程に自分だけの色を宿していく。

挑戦とは、外に向かうものだけではなく、内に向かう問いかけでもあります。
それを日々繰り返しながら、新しい世界を描いていく。

まとめ──挑戦の本質とは

息子の涙と、致知に描かれていた人々の姿。
一見まったく違うようでいて、そこには共通の真実がありました。

挑戦とは、世界の崩壊から始まる。
そして、理念を軸に再び世界を築き上げていく。

この学びを胸に、私もまた日々の挑戦を積み重ねていこうと思います。
世界が壊れることを恐れず、理念という光を携えて。

※この記事は、雑誌『致知』(2025年9月号)の特集「人生は挑戦なり」を読んでの個人的な感想です。
気になる方はぜひ、実際に手に取って読んでみてください。

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