※この記事では、「色」や「空」といった『色即是空』の概念を扱っています。
※「色」と「空」、そして『色即是空』の意味をより深く知りたい方は、以下の記事で詳しく解説しています。
思わぬリクエスト
まだ空が白み始めたばかりの朝5時前、妻の破水から一日は始まった。
そこからの時間は、慌ただしく、必死で、けれどどこかユーモラスでもあった。
病院へ向かう準備を進めているとき、妻がふと口を開いた。
「柿の皮、剥いて」
あまりにも場違いで、私は思わず笑ってしまった。
その瞬間、緊張の色はふっと薄まり、静かな空気が差し込んだ気がした。
不安と期待が交錯する朝の光景の中で、
このユーモアのような言葉はまるで救いの手のように差し伸べられた。
陣痛という波に寄り添う
病院に着き、分娩室に入る。
私は何をすべきか分からなかった。
ただ、妻が積み重ねてきたソフロロジーの練習を思い出す。
「呼吸を合わせ、イメージを重ねる」
それを見てきた私は、自然と声をかけていた。
「大丈夫だよ、いつも練習してたよね」
「赤ちゃんも、きっと大丈夫」
呼吸を共にし、陣痛の波が来たときは妻と一緒に呼吸法をする。
波が引いたときは、妻が休み、私も目を閉じる。
その繰り返しは、まるで長い長いマラソンのようだった。
「いつ終わるんだ」と心の中で思う。
フルマラソンよりも、ウルトラマラソンよりも、はるかに疲れる時間だった。
妻の悲鳴、声にならない声。
それらはすべて「色」として現れ、再び「空」へと溶けていく。
立ち会うことは、命の原点に触れることだった。
痛みも恐怖も、すべてがこの瞬間のために集まっているようだった。
私はそっと妻の手を握る。
その手の温もりに、言葉にできない感謝と尊敬の気持ちが溢れてきた。
二人の呼吸が重なるたびに、命を迎える準備が少しずつ整っていく。
そして──12時52分
波が最高潮に達したその瞬間。
お昼の12時52分、娘は産まれた。
私と妻の「空」が「色」となって見えた瞬間だった。
時計の針が指したその数字は、私にとって永遠に忘れられない刻印となった。
たった一秒の中に、妻の苦しみも、赤ちゃんの産声も、私の必死の呼吸も、すべてが凝縮されていた。
涙が溢れた。
「ありがとう」──それしか言葉は出てこなかった。
娘の小さな体を抱き上げると、冷たくも温かい感触が私の胸を打った。
その小さな存在が、これから何百もの瞬間を私たちにもたらすのかと思うと、言葉では言い表せない喜びがこみ上げてきた。
空から降りてきた光
娘の産声は、小さくも確かな「存在の宣言」だった。
その声を聞いた瞬間、私は思った。
命とは、空から降りてくる光なのだと。
妻の体を通り抜け、この世界に現れた小さな命。
それは「空」が形を持った奇跡であり、永遠に続く物語の始まりでもあった。
私は娘を見つめながら、空を思う。
過去も未来も、すべてがこの瞬間に集まっている。
生まれたばかりの命は、色であり空であり、私たち家族の新しい時間の始まりだった。
その瞬間の光景は、忘れられない記憶として心に刻まれた。
痛みも、涙も、笑いも、すべてが「色即是空」のように溶け合い、この世界に確かな温かさをもたらした。
これからの物語
娘の誕生は、単なる生命の誕生ではなく、家族にとっての新しい時間の始まりだった。
その小さな命と共に歩む日々は、未知で、時に困難で、けれど確実に愛に満ちている。
私は今、あの日の朝の光、陣痛の波、そして12時52分の奇跡を思い返す。
あの瞬間があったからこそ、私は命の尊さを、そして「空」の存在をより深く感じることができる。
そして今日も、空を見上げ、色を感じながら、家族と共に生きていくのだ。

  
  
  
  






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