測定とは、世界を理解する行為ではない
私たちは日常的に「測定」している。
- 成果を測る
- 能力を測る
- 年収を測る
- フォロワー数を測る
- 評価を点数で測る
測定とは、世界を正しく知るための行為だと信じられている。
だが本当にそうだろうか。
量子力学における測定は、
私たちが直感で信じる「測定」という行為とは、まったく違う意味を持っている。
量子力学における測定の正体
量子の世界では、測定は「状態を知る行為」ではない。
状態を決めてしまう行為なのだ。
測定前、粒子は一つの値を持っていない。
複数の可能性が同時に重なった状態にある。
この状態を「重ね合わせ」と呼ぶ。
例えば、シュレディンガーの猫のように、箱の中の猫は生きている状態と死んでいる状態が重なっている、と言われる。
だが測定した瞬間、その重なりは壊れ、
一つの結果に固定される。
測定とは、可能性の流れを切り分け、
一つの現実を選び取る行為なのだ。
固定された瞬間、時間が生まれる
測定が起きると、次の問いが突然意味を持ち始める。
- いつ起きたのか
- どちらが先か
- どれくらいかかったのか
測定前には存在しなかった問いだ。
時間は、測定の結果として立ち上がる。
量子の話に限らない。
私たちの日常も、測定によって「過去」が固定され、時間が意味を持つ。
記録され、評価されることによって、出来事は過去として立ち上がるのだ。
評価とは、人間による測定である
私たちは人間関係や仕事の中で、常に測定している。
- できる/できない
- 優秀/普通
- 成功/失敗
これらはすべて、評価という名の測定である。
評価を下した瞬間、
人も出来事も、
一つの状態に固定される。
本来は流れの中にあったはずのものが、
ラベルを貼られ、履歴として保存される。
たとえば、部下の一度の失敗が「この人はできない」と固定されることもある。
あるいは、子どもの一度の成功が「才能がある」と決めつけられることもある。
評価は、目に見えない流れを無理やり切断してしまう行為なのだ。

意味づけは、最も強い測定
評価よりもさらに強力なのが、意味づけだ。
- あれは無駄だった
- 失敗だった
- 成功体験だ
- トラウマだ
意味づけが行われた瞬間、
出来事は過去に封じ込められる。
別の可能性で語り直される余地は失われる。
意味づけとは、世界を最終確定させる測定である。
子どもの頃の記憶も、後になって大人が意味づけすることで固定される。
「あの時はつらかった」と決めることで、記憶の中の流れは止まり、時間が「過去」として定着するのだ。
なぜ人は、すぐ測定したがるのか
測定は安心をもたらす。
曖昧さが消え、比較が可能になり、管理できた気になる。
だがその代償として、流れは失われる。
重ね合わせは保てない。
すべてが早く決まり、早く終わる。
その結果、時間は速く感じられる。
測定が急ぐほど、心の中の世界は乾燥し、余白を失っていく。
SNSは現代最大の測定装置
SNSは、現代最大の測定装置である。
- いいね数
- 再生数
- フォロワー数
投稿された瞬間から、世界は数値化される。
重ね合わせの時間はほとんどない。
評価は即座に下され、意味づけが走る。
これは、量子力学で言うところの「デコヒーレンス」が極端に速い環境と似ている。
現代社会は、重ね合わせを許さない速度で測定が行われる世界なのだ。
測定しないという選択
測定をやめることはできない。
社会は測定で動いている。
だが、測定を遅らせることはできる。
- すぐ評価しない
- すぐ意味づけしない
- すぐ結論を出さない
これは、流れを守るという選択である。
曖昧さを尊重し、可能性を保ち続けること。
世界が再び重ね合わせの状態で存在することを許すのだ。
測定の遅延がもたらす豊かさ
測定を遅らせると、時間はゆっくり流れる。
出来事は意味づけに縛られず、可能性のままに存在する。
私たちの感覚は、より広がりを持つ。
たとえば、旅の最中に写真を撮らず、ただその瞬間を味わうこと。
SNSに投稿せず、評価を気にせず、ただ見て聞いて感じること。
その瞬間の流れは、後になっても固定されない。
測定される前の世界は、豊かで、自由で、流動的である。
世界は、測定される前の方が豊かだ
量子力学が示しているのは、奇妙な世界ではない。
測定される前の世界の豊かさだ。
私たちは日常の中で、世界を急いで確定させすぎている。
すべてを早く評価し、早く意味づけし、早くラベルを貼る。
だが、ときどき測定を保留すると、世界は再び流れ出す。
その時、私たちは時間をゆったり感じ、選択の自由を取り戻す。
流れはいつも、測定の手前にある。
私たちが「急がない」という選択をした時、初めてその流れに触れ、世界の本当の豊かさを知ることができる。






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