※この記事では、「色」や「空」といった『色即是空』の概念を扱っています。
※「色」と「空」、そして『色即是空』の意味をより深く知りたい方は、以下の記事で詳しく解説しています。
※以下の感想・考察は、私が『こころ』を読み進めながら抱いた印象に基づくものであり、物語全体を読了した後の総括ではありません。
第3回の振り返り:家族の停滞と飛躍への予兆
第3回の記事では、「私と家族」を中心に、父の病と家族の秩序に縛られ、停滞する「私」の姿を見ました。
焦燥やじれったさの中で、「私」はついに先生のもとへ向かう決断をします。その停滞と飛躍の対比が描かれていました。
今回はそこから視点が大きく転じ、「先生自身の過去と告白」に焦点が当てられます。
叔父による裏切りと人間不信の始まり、そして、その闇の中で見出されたお嬢さんという「希望の空」が描かれるのです。
裏切りの色──叔父との記憶
両親の死と信頼の裏切り
「先生」が二十歳になる前、両親は同じ病──腸チフスで相次いで亡くなります。
父は上品な嗜好を持つ田舎紳士で、その父が強く信頼し、誇りに思っていたのが、実の弟で事業家として成功し、やがて県会議員となった叔父でした。
父は叔父を家族の模範として称え、若い「先生」にとっても、叔父は「尊敬すべき人物」であり、「信じるべき身近な大人」でした。
しかし両親の死後、その信頼は裏切られます。叔父は従妹との結婚を「先生」に勧めますが、彼が断ると、父の遺産は容赦なく使い込まれてしまったのです。
結果として残ったのは、多少の資産と、信じていた存在に裏切られたという深い心の傷でした。
色としての叔父
叔父が「私」に提案したのは「女」と「金」という、人間的な“色”。
美徳や誠実さではなく、欲望と打算によって人間関係を操作するその姿を前に、先生の心には「人を信じることの危うさ」が深く刻まれます。
この体験こそが、彼の人間不信の出発点となったのです。

従妹との結婚話──なぜ「先生」は断ったのか
幼い頃の親密さと結婚の拒否
では、なぜ「先生」は従妹との結婚話を断ったのでしょうか。
従妹は幼い頃から親しく遊んできた相手で、兄妹に近い距離感を持っていました。
そのため、結婚という形には向かない濃密さがあったのです。
だからこそ、彼はその縁談を拒んだのです。
結婚は、もっと透明な感情に基づくものであるべき──。
この純粋さへの希求が、彼の選択の背景にあったのかもしれません。
断った結果と孤独
しかし、縁談を断ったことで降りかかったのは、親族の圧力と遺産の喪失でした。
「信頼していたものに裏切られる」という心の傷は、先生をより深く孤独に追い込む結果となります。
お嬢さんへの惹かれ──空の気配
花と琴の透明な力
そんな「色」によって傷ついた先生の前に現れたのが、「お嬢さん」でした。
下宿先の娘が活けた花、彼女が爪弾く琴の音──。
それらは技巧的に優れていたわけではありません。
むしろ、ぎこちなさや未熟ささえあったでしょう。
しかし、だからこそ先生の心に沁み入ったのです。
花はただ咲くだけで、誰を欺くことも、何かを奪おうともしない。
琴の音は目に見えずとも、確かに心の奥底を震わせます。

空の気配と希望
お嬢さんが見せる世界は、叔父が象徴した「女」や「金」という俗世の“色”とは対極にあります。
先生は、人間的欲望を超えた“空”の気配を感じ取るのです。
それは淡く儚いものですが、確かに存在する「透明な何か」。
彼の心を固く縛っていた不信と孤独を、ゆっくりと溶かしていきます。
先生の不信と揺らぎ
疑念と揺らぎ
とはいえ、先生が完全に人を信じられるようになったわけではありません。
叔父からの裏切りの記憶は、深く心に刻まれたままです。
お嬢さんに惹かれながらも、心の奥には疑念が生まれます。
「叔父がそうだったように、この家の奥さんも、お嬢さんも計算しているのではないか──」
愛情の裏には必ず打算があるのではないか。
人は本当には信じられないのではないか。
その不信は、恋心や希望を打ち消すかのように、先生の胸で揺れ続けます。
まさに「信じたいのに信じられない」という、複雑な揺らぎがここに表れています。

淡い希望の息吹
それでも、先生の中でお嬢さんへの気持ちは揺るぎません。
不信や疑念の間で揺れながらも、淡い希望と純粋な感情は確かに息づいています。
まとめ──裏切りの色から希望の空へ
濃厚な色と透明な空
先生の物語は、叔父による裏切りという濃厚な“色”から始まります。
その色は人生を根底から変え、人間不信と孤独を生みました。
しかし、その闇の中で、お嬢さんという存在が「空」のような透明さをもたらします。
裏切りと不信の記憶の中で、わずかに差し込んだ光。

希望の兆し
それはまだ確かなものではなく、淡く揺らぐものに過ぎません。
けれども、そこにこそ先生の心の救済の可能性が秘められていたのです。
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