※この記事では、「色」や「空」といった『色即是空』の概念を扱っています。
※「色」と「空」、そして『色即是空』の意味をより深く知りたい方は、以下の記事で詳しく解説しています。
予測不能な「空」と向き合う日々
私はこれまで、何度もフルマラソンに挑戦してきた。
さらにウルトラマラソンで200kmを超える距離を走ったこともある。
長時間、孤独と疲労に耐えながら走るあの経験は、人生でもっとも体力を使うものだと思っていた。
けれど、子どもと日々向き合うようになってから気づいた。
あれよりも、もっと大変なことがあるのだと。
子どもの行動は、まったく予測できない。
秩序もなく、計画もなく、ただその瞬間の“空”のように広がっては消えていく。
走る道にはコースがあり、制限時間があり、給水所もある。
でも、子どもとの時間にはコースがない。ルールも、予定調和も存在しない。
走りたいけど、休むことすら挑戦になる
ランニングは私にとって大切な趣味だった。
走ることで心が整い、自分自身をリセットできる。
しかし、子どもとの日々は、走る余力を残してはくれない。
フルマラソンを走ったあとに感じる全身の疲労感。
それと同じような疲れを、子どもと一日向き合っただけで感じることがある。
結果、趣味のランニングをする時間があっても、体を休ませるだけで精一杯。
走ることよりも、休むことが「挑戦」になってしまう。
頼ることもまた、人間らしさ
時には、YouTubeという「色」に頼ってしまうこともある。
子どもをその映像の世界に預けなければ、こちらの身が持たない瞬間があるのだ。
もちろん、できることなら頼らない方がいいのはわかっている。
けれど、人間は完璧ではない。
大人もまた、子どもと同じように「空」として揺らぎを抱えている。
だからこそ、そんな葛藤があってもいいのだと思える。
子どもは「空」に近い存在
なぜこんなに疲れるのだろう、と考えてみる。
そして気づくのだ。
子どもは「空」に近い存在だからではないか、と。
空に向き合うのは、非常に体力がいる。
形を持たないもの、秩序を持たないものに、真剣に向き合うには、
自分の枠や計画を手放さなければならない。
それは大人にとって、とても大きなエネルギーを必要とすることだ。
フルマラソンやウルトラマラソンは、走る距離や時間が決まっている。
そこには「ゴール」がある。
でも、子どもと向き合う日々には、ゴールは存在しない。
ただ流れ続ける“空”に、共に身を置くしかない。
それでも、走り続けたい
私は思う。
子どもと向き合う時間は、まるで「空を走るマラソン」のようなものだ。
距離も制限時間もなく、秩序のない空間を、ただ共に過ごしていく。
その中で、大人の私が学ぶのは「予測できないものを受け入れる力」だ。
走ること以上に、空に触れるように子どもと関わることが、
今の私にとっての修行であり、挑戦なのだ。
ランニングはしばらく封印されるかもしれない。
けれど、その代わりに私は「空と共に走る」日々を生きている。
子どもがいるからこそ、走りながらでは決して見えなかった景色を、
いま味わっているのかもしれない。

  
  
  
  






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