~ 理不尽な日々に寄り添う静かな仕組み
朝、スマホのLINEが震える。
「今日はキッチンの換気扇掃除です」
文字だけの冷たい通知。だけど、その一言が私の心をそっと支えている。
排水溝のぬめりを落とし、シンクの水アカを丁寧に拭き取る。
普段は見えない棚の上のほこりも、気づけば自然と手が伸びる。
それは誰かに強制されたわけじゃない。
でも、やらずにはいられない。
そんなある日、妻の言葉が胸に刺さった。
「なんでこんなに汚れてるの?もっとやってよ」
私は一瞬、言葉を失った。
心の中には、何度も繰り返してきた掃除の光景がよぎる。
「これだけやっているのに…」
言い返したい気持ちもあった。
だけど、何も言わず黙っているしかなかった。
理不尽と不条理の中で生きる
人間の暮らしは、決して理想的なものではない。
期待と現実はしばしば乖離し、努力は必ずしも報われない。
たとえどんなに頑張っても、誰かに評価されるとは限らない。
むしろ、やればやるほど「もっとやれ」と求められ、疲弊することもある。
この「理不尽」や「不条理」は、この世の根本的な性質だ。
誰もが異なる価値観や感情を持ち、見えている世界が違う。
だから、同じ行動でも、感じ方は違う。
自分の「十分」が、相手の「不十分」になることも多い。
そんな現実を前に、心は揺れ、怒りや悲しみ、諦めが入り混じる。
でも、そこで感情に流されてしまえば、家庭は壊れてしまうかもしれない。
だから、私は感情を押さえ込み、静かに折り合いをつけることを選んだ。
秩序は感情を殺すものか?
秩序を作ることは、感情を抑え込むことのように感じられるかもしれない。
「感情に正直に生きることこそ人間らしい」と思う人も多いだろう。
しかし実際には、秩序は感情の敵ではない。
むしろ、感情が暴走して周囲を傷つけるのを防ぐ“壁”や“ガイドライン”の役割を果たす。
秩序は、感情の波に飲み込まれないよう、心のバランスを保つための装置だ。
波が荒れる海でも、灯台があるから船は安全に航行できる。
それが秩序の役割だと、僕は考えている。
LINE Botが生む静かな秩序
そこで私は、仕組みを作った。
LINE Botで掃除のリマインダーを送り、感情に流されず行動できるようにした。
「今日は浴室の排水溝」「週末は玄関の掃き掃除」
無機質で冷たい通知だけど、それが私の感情のブレーキにもなっている。
面倒な日も、疲れた日も、
感情の起伏に左右されず、ただ淡々と動ける。
それは一見、冷たく見えるかもしれない。
でもその中には、家族への深い想いが込められている。
感情を守るために感情を手放す
私は、怒りや不満で家族を傷つけたくない。
それが一番の理由だ。
感情をぶつけ合えば、傷つき合うだけ。
でも感情を抑えすぎても、心はどこかで疲弊してしまう。
だからこそ、「感情を殺す」のではなく、
感情を守るために「感情を手放す」という選択をした。
仕組みを頼りにして、感情の荒波から距離をとる。
その結果、少しでも優しい気持ちで家族に向き合えるなら、
それは決して感情を捨てることではないと思う。

小さな秩序が育む家族の時間
日々の小さな秩序が積み重なり、
やがて家族の時間は静かに守られていく。
荒れた感情のぶつかり合いが減り、
「ありがとう」や「助かるよ」という言葉が増えるかもしれない。
完璧じゃなくてもいい。
感情が揺れてもいい。
ただ、その揺れを受け止める土台があるだけで、ずいぶん違う。
不条理に咲く秩序の花
理不尽や不条理はこの世の常だけれど、
その中に秩序という花を咲かせることはできる。
それは感情を殺す冷たい鉄の柵ではなく、
感情を守り育てるやわらかな囲い。
私が毎週LINEに「掃除しろ」と言われるのは、
その秩序の花を咲かせるための小さな水やりのようなものだ。
そしてその花は、静かに、しかし確かに、
家族の心の中で息づいている。
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