立川談春著『赤めだか』
立川談春の自伝的小説『赤めだか』を読むと、落語家としての成長だけでなく、人間としての学びも感じられます。談春が魅せられたのは、競艇というギャンブルの世界や、自由奔放な師匠・立川談志の生き方です。秩序を重んじる家庭で育った彼が、なぜ無秩序の世界に惹かれたのか。本書はその心理の動きと、落語家としての成長過程を鮮やかに描きます。

秩序を知るからこそ惹かれる無秩序
父から教わった「秩序」と「責任」
談春は父から、厳格な秩序を学びながら育ちました。競艇に連れて行かれ、お菓子を大量に与えられたとしても「残さず食べろ」と言われる。言ったことには必ず責任を持つことを求められる。こうした経験は、彼の内面に秩序の感覚を深く刻み込みます。
無秩序の世界への自然な惹かれ
秩序を知るからこそ、逆に無秩序の世界は魅力的に映ります。ギャンブルとしての競艇、思い付きのように行動する談志師匠──自由奔放で予測不能な世界に惹かれたのは、秩序の中で育ったからこそでしょう。秩序を理解している者だけが、無秩序の魅力を体感できるのです。
秩序と無秩序のバランス
この二つの世界を知ることは、後の落語家としての成長に直結します。秩序だけでも無秩序だけでも、芸は深まらない。秩序の中で無秩序を理解すること、それが後に「型破りの芸」を生む基盤となるのです。

弟子入り修行で得た世界観
思いつきの雑務と混乱
談志のもとでの修行は、予測不能で理不尽なものばかり。思いつきの雑務を突然任され、困惑しながらもその世界に身を置くことになります。そこでは技術だけでなく、師匠の考え方や価値観、世界の見方を肌で学んでいきます。
築地修行で培った視点
築地での修行では、落語の直接的な技術を学ぶことはできません。しかし、周囲の環境や人々との関わりから、談志の世界観を感じ取る力を養います。直接学べないことこそ、後の芸の幅を広げる貴重な体験となるのです。

多様な世界観を吸収する力
こうした混沌とした経験の積み重ねが、談春にとっての財産になります。秩序と無秩序、自由と制約の異なる世界観を同時に感じ取り、落語の表現に活かす力を養うのです。
試練と成長──型を学び型破りを生む
二つ目の試験での混乱
二つ目の試験では、談春は緊張のあまり記憶が飛び、パニックに陥ります。しかし、これまでの修行で培った世界観があったからこそ、最終的には師匠に認められます。混乱の中でも、自分の立ち位置や芸の方向性を見失わない力が重要なのです。
弟子同士の競争
志らくに先を越される場面もありました。悔しさや焦りを感じながらも、師匠の思惑を超えるために奔走する経験は、観客の期待を超える芸を生む力となります。競争や試練を通してしか得られない成長がここにはあります。

型があれば型破りもできる
談志の言葉「型がなければ型なし。型があれば型破りができる」は、本書を通して何度も響きます。秩序を知り、基本を身につけることで、初めて自由奔放な芸が可能になる。型を理解した上での型破りこそ、芸の奥深さを生むのです。
『赤めだか』から得られる人生の学び
秩序と無秩序を行き来する成長
落語家としての修行の話でありながら、『赤めだか』は人生における学びも教えてくれます。秩序と無秩序のバランス、型と自由、責任と冒険──それぞれの対立する価値観を体験しながら、自分の芸や生き方を形成していく。談春の歩みは、誰にとっても示唆に富んだものです。

「空」と「色」の対比が生む面白さ
無秩序や理不尽という「空」にしか、本当の面白さはありません。だから人はそこに惹かれるのです。けれど、秩序やルールという「色」を知らなければ、何が無秩序であり、どこに自由の面白さがあるのかすら分からない。秩序を知るからこそ、無秩序の魅力を感じられるのです。
型を知るからこそ型破りに挑める
立川談春『赤めだか』は、落語の世界に興味がある人はもちろん、人生で「型」と「自由」のどちらも大切にしたい人におすすめの一冊です。秩序の中で無秩序を感じ取り、型を知るからこそ型破りに挑戦できる──そんな深い学びを与えてくれます。
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