モヤモヤが「色」になって消えた日 〜感情を走らせるという救い〜

自分と向き合う

この記事では、「色」や「空」といった『色即是空』の概念を扱っています。
※「色」と「空」、そして『色即是空』の意味をより深く知りたい方は、以下の記事で詳しく解説しています。

感情が爆発していた日々

私は、小学4年生くらいまで、よく感情を爆発させていた。
ほんのささいなことでイライラしてしまう。
思ったようにいかないと怒りが込み上げてくる。
誰かの言葉や、大人たちがつくる「正しさの型」にはめられると、息苦しくなる。

でもその感情を、どう表現すればいいのか分からなかった。
怒りを「言葉」にすることが、まだ自分には難しかった。
だから、キレるしかなかった。
叫ぶ。物に当たる。時に泣き叫ぶ。
そうしてしか、自分を守れなかった。

周りにとっては「扱いにくい子ども」だったかもしれない。
けれど、当の本人である私は、そんな自分が一番嫌だった。

「なんでまた怒っちゃったんだろう」
「なんで、うまくやれないんだろう」
「なんで、こんなに苦しいんだろう」

自分自身をどうしたらいいのか、わからなかった。

ある日、自転車がパンクした

そんなある日、転機が訪れた。
自転車が、突然パンクしたのだ。

たいした話ではない。誰にでもある出来事だ。
でも、そのときの私はショックだった。
なぜなら、これから友達の家に遊びに行こうとしていたところだったから。

自転車が使えなければ、行けない。
でも、なぜか私は諦めなかった。
なんとなく、「走って行ってみよう」と思ったのだ。

今思えば、それが自分を救う「始まり」だった。

「走って行ける世界」に友達がいるということ

友達の家は、遠くもなく近くもない。
小学生が走って行ける距離だった。
けれど、私は走った。汗をかきながら、息を切らしながら。自転車に乗る友達を追いながら。

不思議だった。
「苦しい」という感覚よりも、「行きたい」という気持ちのほうが強かった。
誰にも言われず、自分で走ると決めて、自分の力で目的地にたどり着いた。

そこには、普段通りの友達がいた。
何も特別なことは起きなかったけれど、
その瞬間、私は「世界に受け入れられた」ような気がした。

走って行ける場所に、ちゃんと自分を待ってくれている存在がいる。
それは、パンクという小さなトラブルがなければ、
気づかなかった「救い」だった。

走ることで、感情が変わっていった

それからというもの、私はよく走るようになった。
駅伝大会に向けて。陸上大会に向けて。

走ると、頭の中のモヤモヤが少しだけ静かになった。
走ると、感情のとげとげしさが和らいだ。
走ると、身体の外に何かが抜けていく気がした。

そうしているうちに、私は走るのが速くなった。
陸上大会でリレーの選手に選ばれた。100m走で1位を取った。
走ることが「得意なこと」になっていった。

気づけば、自分の中に小さな「自信」が芽生えていた。
それは、誰かに与えられたものではなかった。
自分でつかみ取った、体験の中から生まれたものだった。

モヤモヤが「色」になって消えていく

今振り返れば、あのときの私は、
言葉にならない「空(くう)」のような感情に包まれていたのだと思う。
誰にも見えないし、自分でもはっきりつかめない。
でも、確かにそこにあった重たいもの。

それが、走るという行動を通じて、
速く走れるという色に変わっていった。

走るという行為が、「モヤモヤ」という空のなかに、色を与えた。
意味が与えられた。形が生まれた。

私は「走る」ということに出会うことで、
自分の感情の扱い方を、身体を通して学んでいたのだと思う。

そしてそれは、不思議なことに、求めていたわけではなかった。
「これで救われたい」と願っていたわけでもなかった。
ただ、偶然に、パンクという出来事の中から現れた「色」だった。

それはまさに、「空即是色」だった。
形のない感情が、色となり、そして消えていく。
怒りも、悲しみも、戸惑いも、
走ることで一度「色」になって、消えていった。

走ることは「生き方」になった

その後、私はランニングやめたが、
大学生時代から再び走り始めた。

ただのスポーツというよりも、
自分を保つための、心の整え方のひとつになった。

きっとこれからも、
感情に揺れ、どうしようもなくなるときが来るだろう。

そんなとき、私はまた走ると思う。
言葉にできないものを、走ることで表現していく。
そんな風にして、
私は今までも、そしてこれからも、自分を救い続けるのだろう。

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