出会いは「違い」から始まった
私にとって、彼女は最初から「対照的な存在」だった。
それは、世界の捉え方というより、まずは“経験の差”として感じられた。
私は海外に行ったことがなかった。国内で育ち、国内で学び、国内で暮らしてきた。
そんな私にとって、世界を知っている彼女の存在は、まぶしくもあり、未知への扉のようでもあった。
私はあまり喋る方ではなかった。
一方の彼女は、よく喋る。会話のテンポも軽やかで、場の空気を明るくする人だった。
そうした違いに惹かれた。
自分にないものを持つ相手というのは、不思議と魅力的に映るものだ。
表面的な「対照性」から、内面的な「対照性」へ
最初に気づいた違いは、あくまで外側のものだった。
たとえば、私は比較的健康な体を持っているが、彼女はアトピーに悩まされてきた。
私には両親が健在だが、彼女には父がいない。
私は祖母の記憶があまりないが、彼女には、祖母との具体的な記憶と、深い情緒の結びつきがある。
加えて、私はどちらかといえば「おおらか」で、大雑把とも言える性格。
彼女は「しっかり者」で、細かいところまで目が届く。
これだけ聞くと、まさに正反対の二人だと思われるかもしれない。
実際、衝突もあった。
でも不思議と、ケンカしてもすぐに謝れる。
お互いの違いを否定せず、尊重し合いながら混じり合っていく。
それが私たちの関係の「自然なかたち」になっていた。
子育てが見せてくれた、ふたりの“問いの違い”
時間を共にし、結婚し、子どもが生まれると、生活は一変した。
日々の選択に“正解”がないことが増えた。
何を食べさせるか、どう寝かせるか、泣いたときどうするか——。
そんなとき、私たち夫婦の「問いの立て方の違い」が明確になってきた。
私は、物事がうまくいかないとき、自分の内側に問いを立てる。
なぜ、私はイライラしたのか?
なぜ、あのとき、ああいう言い方をしてしまったのか?
妻はどう感じたのか?自分は何を恐れていたのか?
何度も繰り返し、問いを立て直し、別の角度から眺めてみる。
そのプロセスが、私にとっての“心の整理”であり、内なる秩序の再構築なのだと思う。
一方で、妻は「外に問いを求める」人だ。
アトピーが出るのは、食べ物が悪いのでは?水道水の影響?石鹸が合わないのかも?
そんなふうに、外側の環境や他者の行動に問いを投げる。
あるとき、妻が実母との関係に悩んでいた。
「なぜ、お母さんは私を受け入れてくれないのか?」「なんで空気が読めないんだろう?」
私は「そもそも受け入れるとは何か?」「自分が母に何を求めているのか?」と自分に問い返してみたくなるのだが、妻は「相手がどうあるべきか」に焦点を当てたがる。
この違いは、どちらが正しいということではない。
ただ、根本的な思考の方向が異なるのだ。
問いの方向が違うからこそ、世界が広がる
私たちは違う方向に問いを立てている。
それは時にすれ違いも生むけれど、だからこそ、一方では見えなかった景色が広がることもある。
妻は外の世界へのセンサーが鋭い。
だから、私は気づけないような環境の変化に気づく。
食べ物、気候、他者の態度——すべてが彼女にとっては問いの対象だ。
一方、私は、目の前で起きた出来事を内側に取り込んで、抽象化しながら整理していく。
「それは本当に問題なのか?」「問題が起きたとして、それにどう意味を与えるのか?」
そう考えることで、心が落ち着いていく。
どちらか一方では不完全なのだ。
私の方法だけでは、見逃す問題がある。
妻の方法だけでは、外の要因に振り回されるリスクもある。
だからこそ、ふたりがともに暮らす意味があるのだと思う。
調和とは、揺れながら形づくられるもの
夫婦でいると、価値観のぶつかり合いは避けられない。
それを「一致させよう」とするほど、無理が出る。
むしろ、違うままでいかに調和を図るか。その方がずっと難しく、でもずっと豊かだ。
我が家では、意見がぶつかることもある。
特に子育ての局面では、それぞれが大切にしたい「育て方の美学」がある。
でも私たちは、「どちらが正しいか」よりも、「ふたりでどう調和をつくるか」に視点を置いてきた。
正反対の方角を向いたふたりが、間を探るように歩み寄る。
そんな姿勢そのものが、子どもへの最大の教育かもしれない。
対照的な存在との生活は、内省の連続である
日々の中で、私はよく考えるようになった。
自分がなぜ今、こう感じたのか?
妻はなぜ、あのように振る舞ったのか?
その背後には、どんな価値観や背景があるのか?
その問いが、私の内側に空間をつくる。
自分という存在を、何度でも問い直す。
そして、そのたびに、少しずつ変わっていく。
きっと妻も同じように、自分の外側から世界を問い直しているのだと思う。
だからこそ、私たちはただの「反対の性格」ではない。
むしろ、「世界の違う側から、同じものを見つめている存在」なのかもしれない。
幸せとは、「違いのなかで一緒にいること」
対照的な人と暮らすのは、決して楽ではない。
でも、だからこそ面白い。
だからこそ、自分という存在が、常に揺さぶられ、広がっていく。
結婚してよかった。
妻と出会えてよかった。
違うからこそ、分かり合いたいと思う気持ちが生まれる。
違うからこそ、「いっしょにいること」が意味を持つ。
調和とは、ぴったり重なることではない。
それぞれが異なる音を奏でながら、ひとつの和音をつくっていくこと。
その音色の中に、私は幸せを感じている。







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