※この記事では、「色」や「空」といった『色即是空』の概念を扱っています。
※「色」と「空」、そして『色即是空』の意味をより深く知りたい方は、以下の記事で詳しく解説しています。
家族に生まれた、小さな新星
息子がこの世界に生まれた日のことを、私は今でも鮮明に覚えている。
病院での出産の知らせ、初めての泣き声、あの不思議な温度を持った小さな体。
彼がこの世に現れた瞬間、私たち家族は確かにひとつ、豊かになった。
けれどその一方で、誰よりも複雑な感情を抱いていたのは、娘だったかもしれない。
それまで娘は、私と妻にとって、たった一人の子どもだった。
甘えるのも、叱られるのも、抱きしめられるのも、すべて独り占めしていた。
それが“当たり前の秩序”だった。
そこに、ある日、弟という名の新しい命がやってきた。
大人の目から見ればただ「家族が一人増えた」だけのことかもしれない。
でも、娘にとってはそれは世界が根底から揺らぐような出来事だったのだ。
赤ちゃん返り──破壊と再構築の入り口
息子の退院後、私たちの生活は一変した。
夜泣き、授乳、オムツ替え、全てが慌ただしい。
親としても手探りの日々が続くなか、娘の様子にも変化が現れた。
甘えるように泣いたり、
それまでひとりでできていたことを、わざとできないふりをしたりもした。
最初は戸惑った。
「どうして急にこんな行動を?」
「赤ちゃん返りって聞いていたけど、本当にあるんだな」
と頭では理解しつつも、感情的には揺れた。
けれど、ある時ふと気づいた。
これはただの“退行”ではない。
娘は、自分なりに新しい家族秩序に適応しようとしているのだ。
その方法が、彼女なりの“赤ちゃんに戻る”という形だったのだ。
「空(くう)」への回帰としての赤ちゃん返り
私はその様子を見ながら、ある仏教的な概念を思い出していた。
それは、「空(くう)」。
空とは、すべての存在が固定された本質を持たず、相互の関係性の中で成り立っているという思想。
つまり、秩序や自我といったものも、常に流動的で、変化しうるものだという前提で世界を見る視点である。
娘が赤ちゃんに“戻る”という行為は、まさに自我や役割、立場といった固定された秩序をいったん脱ぎ捨て、「空」に戻ることだったのではないか。
それまで「お姉ちゃん」ではなかった自分が、「お姉ちゃん」として新しく定義されなければならない。
でも、その新しい自分がどんな存在なのかは、まだ彼女にも分からない。
だからこそ、一度、既存の枠組みを壊し、“空白”に戻る必要があったのだ。
この過程は、まさに“混沌から秩序へ”と向かう再構築の物語だった。
自分を見失いながら、もう一度、自分になる
赤ちゃん返りの最中、娘の感情はよく揺れていた。
「私だけを見て」
「弟ばかりずるい」
「私も赤ちゃんがいい」
そんな言葉が、涙とともに溢れることもあった。
けれど、そのたびに、私たちは娘を抱きしめた。
「大丈夫だよ」
「パパもママも、ずっと大好きだよ」
そう繰り返すことで、彼女は少しずつ安心を取り戻していった。
そしてある日、娘はこう言った。
「赤ちゃんかわいいね。私、お姉ちゃんだから、ミルクあげてあげるね」
その言葉を聞いた時、私は思わず胸がいっぱいになった。
娘は、かつての秩序を壊し、“空”に戻り、そして新たな秩序の中で自分の役割を見つけたのだ。
彼女はもう、以前の娘ではなかった。
一回り大きな、優しい“お姉ちゃん”という新しい存在へと、自分を再定義していた。
家族とは、絶えず再構築される宇宙である
この出来事を通して、私は改めて思った。
家族とは、固定された構造ではなく、絶えず再構築される関係性の宇宙なのだと。
新しい命が加わるたび、誰かの役割が変わる。
そのたびに、喜びとともに、痛みも生まれる。
でも、その痛みこそが、新たな秩序への入り口なのだ。
娘はそのことを、体ごと教えてくれた。
言葉ではなく、泣き声や仕草や赤ちゃん返りという行動を通して。
それは、ただの「成長」ではない。
一度、自分を見失いながら、もう一度、自分を見出すという、“生まれ直し”のような営みだった。
終わりに──私たち大人にも必要な“赤ちゃん返り”
この娘の姿を見て、私はふと、私たち大人も同じようなことをしているのではないかと思った。
人生には、思いがけない変化が起こる。
転職、別れ、病気、親の死、子の誕生……。
そうしたとき、私たちは一度、自分の中の「秩序」が崩れるのを感じる。
それは時に、何もやる気が出なかったり、泣いてしまったり、何もかも嫌になったりする形で現れる。
あるいは、自分でも驚くほど幼稚な感情や態度になって現れることもある。
それらはすべて、ある意味では「大人の赤ちゃん返り」なのかもしれない。
でも、それでいいのだと思う。
むしろ、それが自然なのだ。
一度“空”に戻ることでしか、新しい秩序、新しい自分、新しい関係は生まれない。
娘の赤ちゃん返りは、それを教えてくれた。
彼女の成長は、私たち家族にとってもまた、“家族としての再生”の物語だったのだ。

  
  
  
  






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