選挙はいつから「伝票集めゲーム」の拡張パックになったのか
選挙の論点が軽減税率になるたびに思う。
あぁ、また「現場」が「机上」に負ける日が来たんだな、と。
正直に商売したら負け。
人を雇ったら負け。
そして、「手」を動かしたら負け。
そんなルールが、また一枚追加されるのかもしれない。
税制という名の「シミュレーションゲーム」
今の日本の税制は、もはや経済の仕組みじゃない。
モニターの中だけで完結する、出来の悪いシミュレーションゲームだ。
- ルールは後出し
- 説明書は読ませる気がない
- 現場で発生する矛盾(バグ)は「自己責任」で放置
現実で汗をかいた者ほど、
このゲームではペナルティを受ける。
このゲームにおいて、プレイヤーが最初に学ぶ攻略法はこうだ。
「どうやって価値を作るか」ではない。
「どうやって税を払わない側に回るか」だ。
「手仕事」を捨てた者が勝つ、逆転のルール
本来、商売の主役は「手」だったはずだ。
作る手、運ぶ手、直す手。
その手触りのある労働が、社会に価値を残してきた。
しかし、この税制ゲームでは、
「手仕事」は最大のリスク要因として設定されている。
- 人を雇う
→ 社会保険という名のデバフが常時発動する - 設備を持つ
→ 固定資産税という持続ダメージを食らい続ける - 在庫を持つ
→ 管理コストと税負担で行動が制限される
一方でどうか。
画面の中だけで契約書を書き換え、
「外注」「委託」という名のパケットに責任を分解し、
自分は何も持たない。
現場を持たず、手も汚さない「机上のプレイヤー」だけが、
このゲームにおける回避スキルを持っている。
始まった「伝票集めTCG(トレーディングカードゲーム)」
軽減税率の本質は、弱者救済ではない。
事業者に伝票を集め、仕分けること自体を目的化させるゲーム化だ。
- 「これは8%か、10%か」
- 「インボイス登録番号は有効か」
- 「帳簿の属性は一致しているか」
商売の時間は削られ、
代わりに「伝票カード」を集める周回作業が始まる。
店主は厨房を離れ、
工場長は現場を離れ、
深夜、机の前でカードを並べている。
これはもう商売ではない。
伝票集めRPGだ。

価値創造から「制度ハック」への転落
このゲームの攻略本には、はっきりこう書いてある。
「良いものを作るな。制度を読み切れ」
「人を育てるな。カードを集めろ」
軽減税率が導入されるたびに、
日本は静かに「価値創造」から
「制度ハック」へと移行していく。
汗をかく職人より、
画面の中で数字を操作し、
控除の隙間を見つけるゲーマーが「賢い」とされる社会。
そんな社会で、
誰がリスクを取って設備投資をし、
誰が10年先を見て人を育てるだろうか。
このゲームの隠しエンディングが「少子化」だ
ここで、多くの人がこう言う。
「税制と少子化は別問題だろう」と。
しかし、これは別問題ではない。
同じゲームの、同じルールの帰結だ。
この税制ゲームが、
プレイヤーに何を教えているか。
- 持つな
- 雇うな
- 長期的な責任を負うな
- 不確実な未来に投資するな
これはそのまま、
子どもを持つことへの逆メッセージになっている。
子育てとは何か。
- 人を「持つ」こと
- 長期の責任を引き受けること
- 未来に対して不確実な投資をすること
つまり、
このゲームにおいて最もペナルティが重い行為だ。
家庭は「最も重い固定資産」になった
子どもを育てるという行為は、
- 時間を持っていかれる
- お金がかかる
- 短期的なリターンはない
このゲームの評価軸では、
完全に赤字案件である。
だから若者は合理的にこう判断する。
「持たない方がいい」
「背負わない方がいい」
それは個人の倫理の問題ではない。
ゲームデザインの問題だ。
運営が切り捨てたのは「現実の時間」
この税制ゲームが切り捨てているのは、
お金だけではない。
- 成長にかかる時間
- 熟練に必要な年月
- 人と人が関係を築く速度
そうした現実の時間感覚そのものだ。
モニターの中では、
数字は一瞬で動く。
だが、
人は一瞬では育たない。
子どもも、一瞬では大人にならない。
結論:社会が壊れているのではない
軽減税率が悪いんじゃない。
問題は、それを足すたびに、
運営(国)が「現実の手触り」を切り捨てていることだ。
運営は、はっきりとメッセージを出している。
「現場を持つな」
「人に関わるな」
「責任を引き受けるな」
「ただ、伝票を正しく並べろ」
社会が薄くなっているのではない。
「現実」と「未来の子ども」を支える手が、
このゲームの進行とともに、一本ずつ、確実に折られている。







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