フィクションだと思っていた世界が、現実に重なったとき
ゼノギアスというゲームをご存知だろうか。
1998年に発売された、スクウェアのRPGだ。
私は当時、小学生で、確かにその世界を遊んだ一人だった。
武術を使い、ロボットに乗り、物語を進めた記憶はある。
けれど正直に言えば、内容はほとんど理解できていなかった。
宗教、哲学、文明、神。
そうした言葉の意味を、当時の私は知らなかったし、
知ろうともしていなかった。
ただ、漠然とした違和感だけが残っている。
「この世界は、何かおかしい」
そんな感覚だけが、
ゲームの後味として、心に沈殿していた。
それから二十数年が経った。
社会に出て、働き、税を払い、将来を計画するようになった今、
ふと、あの物語を思い出すことがある。
今になって振り返ると、
ゼノギアスの設定は、単なるフィクションとは思えない。
むしろ、現代社会の構造そのものを、寓話として先取りしていた
そう感じるようになった。
人は何のために生き、
何のために働き、
そして、何を糧として消費されているのか。
あの頃は理解できなかった問いが、
現実の生活の中で、輪郭を持って立ち上がってきた。
ヒトは神の部品だった──ゼノギアスの核心
ゼノギアスの物語の核心は、衝撃的だ。
この世界で生きる人間は、
神(デウス)を復活・維持するための
部品として生み出された存在だった。
文明も、戦争も、宗教も、
すべては神を動かすためのシステム。
個々の人生に意味はある。
だがそれは、全体から見れば、
燃料の性質の違いでしかない。
子どもの頃の私は、
この設定を理解できなかった。
それでも、なぜか「救われない感じ」だけは、
妙に記憶に残っている。
現代日本で起きた「主語のすり替え」
現代日本の経済や税制を眺めていると、
ゼノギアスの構図が、
現実の輪郭を帯びて見えてくる。
かつて、
企業はリスクを負う主体だった。
国家もまた、
社会を維持する責任を担っていた。
だが1980年代後半以降、
その主語は、静かに入れ替わった。
法人税は下げられ、
消費税は上げられる。
利益を上げた主体から取るのではなく、
「生きること」そのものに課税する構造。
これは単なる財政の話ではない。
誰が燃え、誰が残るかを決める
設計思想の変更だ。
輸出還付金という仕組みは、
国民から集めた税を、
大企業へと還流させる精製装置として機能する。
こうして、
人間の生活と時間は、
資本を育てるための原材料になっていった。
生きたまま加工される未来──ソイレント・システム
映画『ソイレント・グリーン』では、
人間は死後、食料へと加工された。
だが、現代のシステムは、もっと洗練されている。
生きたまま、いや、まだ見ぬ人間の未来ですら、
資本へと変換されていく。
象徴的なのが、住宅ローンだ。
銀行が貸しているのは、家の価値ではない。
担保に取っているのは、
個人の数十年分の労働時間である。
さらに、
生活のあらゆる場面にかかる消費税が、
人生そのものを精製工程に組み込んでいく。
私たちは、
自分の時間と身体を、
誰かの配当や利息という名の
缶詰に加工して差し出している。
それが当たり前だと、
教え込まれながら。
認知のリミッター──現代のソラリス
劇中に登場する空中都市ソラリスは、
地上の人間(ラムズ)を、
情報と薬物、そして
「宗教という物語」で支配していた。
物理的な鎖ではない。
認知の鎖による支配だ。
現代日本において、
この役割を担っているのは、
SNSやマスメディアによる
「幸福の定義の固定化」だろう。
- 35年ローンで家を買うのが一人前
- この税制は社会保障のために仕方ない
- みんなと同じように振る舞うのが正解
これらは、ゼノギアスの世界で人々の脳内に
埋め込まれていた
リミッター(思考抑制装置)と同じ機能を果たしている。
私たちは、
リミッターをかけられたラムズのように、
システムに都合のいい選択を、
自分の意思だと思い込まされている。
未来を燃やす「先食い」のシステム
少子化の本質は、低賃金や個人の価値観の変化といった表層の問題ではない。
それは、
「まだ生まれていない子どもたち」を、
現在のシステムを維持するための燃料として、
すでに燃やし尽くしてしまっている
という事実にある。
私たちは、
未来に生まれるはずだった個体が、
一生をかけて支払うはずの税や、
背負うはずだった労働を、
現在の負債を支える担保として
「先食い」している。
未来は、まだ来ていない。
それにもかかわらず、
その未来は、すでに消費されている。
子どもを一人産むことは、
本来、新しい命の誕生であるはずだ。
だがこの構造の下では、それはいつの間にか、
将来の消費税、社会保障費、
そして数十年ローンの予備軍を一体、追加納入する
という契約に近い意味を帯びてしまった。
かつてゼノギアスのプレイヤーが、
「自分たちが口にしていたものは、
かつて人間だった」
という真実に直面し、言葉を失ったように。
現代の私たちもまた、
いま享受している社会の安定が、
『存在しなかった未来の子どもたち』という犠牲
によって支えられている、
という事実の前に立たされている。
子どもが生まれないのではない。
生まれるはずだった未来を、
私たち自身が、
システムの延命のために、
あらかじめ精製し、
缶詰にして消費してしまったのだ。

壊れた人格(フェイ)たちの氾濫
ゼノギアスの主人公フェイは、
あまりに過酷な現実に耐えるため、
自らの精神を解体した。
現代日本において、
精神疾患を抱える人が増え、
ネット空間が剥き出しの攻撃性で満ちているのは、
単なる「心の弱さ」の問題ではない。
それは、
システムによる過負荷によって精神が限界を迎え、
精神的なスファール化(変異)を起こしている兆候だ。
精神を病むということは、
これ以上、健全な労働力として
機能することを、
脳が拒否した緊急停止でもある。
管理人たちもまた、神の内側にいる
政治家や資本家は、
しばしば「悪者」として語られる。
だが、ゼノギアスの文脈で言えば、
彼らは神そのものではない。
管理人(カレルレン)だ。
彼らはシステムを運用しているが、
外側に立っているわけではない。
果実を海外へ移すのは、
勝者だからではない。
ここに留まれないことを、
誰よりもよく知っているからだ。
彼らもまた、
遅れて処理される部品にすぎない。
善意で舗装された、地獄への道
最も悲しむべきは、
このシステムが、
純粋な悪意から生まれたものではない、
という点だ。
社会保障を守ろうとした善意。
誰もが家を持てるようにした善意。
雇用を守ろうとした善意。
一つ一つは、
確かに「良かれ」だった。
だが、それらが重なり、
最適化され、
巨大な構造になったとき、
そこからまだ見ぬ人間の体温は消えた。
正しさだけが残り、
論理だけが回り続ける。
部品であることを降りる、小さな選択
ゼノギアスでは、
神は倒された。
現実には、
そんな劇的な結末は訪れない。
だが、選択は残っている。
未来を担保に取られる負債を、
安易に刻まないこと。
資本の回路に寄生し、
奪われたエネルギーを、
一部取り戻すこと。
貨幣と税を介さない、
小さな自給圏を持つこと。
世界は変わらない。
けれど、
自分の人生の重さは変わる。
空にまれに咲く問い
問いかけたい。
あなたの毎日は、
誰の神を生かすための
燃料になっているだろうか。
私たちは神の部品なのか、
それとも自分たち自身のものなのか。
その違いを意識した瞬間、
私たちは初めて、
ゼノギアスの物語の外側に立つ。





コメント