ある日、兄が話してくれたこと
兄は精神病院で、ソーシャルワーカーとして働いている。
穏やかで、人の話をよく聞く。いつ会っても、こちらの空気を優しく受け止めてくれる人だ。
ある日、兄と何気ない会話をしているときに、ふと重い話題が出た。
「この前、患者さんが病室で亡くなったんだよ」
その言葉を聞いたとき、胸が詰まった。想像してみたけれど、到底できなかった。人の心に寄り添いながら、日々を積み重ねてきた兄。その彼の目の前で、命が静かに終わっていく──そんな瞬間に立ち会った兄の心は、大丈夫だったのだろうか。
私は、恐る恐る聞いた。
「……そういうとき、つらくない?」
すると兄は、あっけらかんと言った。
「自分で精一杯やったと思ってるから、大丈夫だよ」
精一杯という言葉の裏にあるもの
そのときは、「プロとしての強さなのだろう」と思った。
でも、今になって、もっと深い何かを感じるようになった。
兄は、「自分の世界軸」をしっかりと持っているのだ。だから、心を乱されすぎることなく、日々を誠実に生きている。単に感情を切り離しているのではない。感情を抱えたまま、しかし、それに飲まれずに立ち続けているように見える。
人を受け入れるということは、簡単ではない
精神医療の現場では、「相手を受容する」という姿勢が何よりも重要だという。相手が、何を感じ、何を恐れ、何に苦しんでいるのかを、判断せず、決めつけず、丸ごと受け入れる。
しかし、それは簡単なことではない。
人の混乱や絶望、怒りや悲しみに触れるというのは、自分の精神が揺さぶられるということでもある。もし自分の軸がなければ、相手の苦しみに引きずられて、自分自身を見失ってしまう。
だからこそ、受容するには、強さがいる。
そしてその強さとは、「自分自身の世界軸を持っていること」ではないだろうか。
世界軸が壊れたとき、人は共倒れする
人は、他者の苦しみに深く入り込もうとするとき、自分の中の何かが試される。
他人の痛みに心を開くということは、同時に、自分の防波堤を緩めることでもある。そのとき、自分という存在の土台が曖昧だったら、相手と一緒に沈んでしまう。
それは、「優しさがゆえの共倒れ」とも言えるだろう。
だからこそ、兄のような仕事を続けていくには、「自分の世界軸を持っていること」が絶対に必要なのだ。世界軸は、相手との間に壁を作るものではない。むしろ、相手を真正面から受け止めるためにこそ、必要な土台なのだ。
健やかさとは、受け止める力のことかもしれない
兄は、確かに「健やか」だと感じる。
それは、どんな話をしても、決して動じないし、心をまっすぐに差し出してくれるからだ。表面的には穏やかでも、その奥に、静かな強さがある。
私は今になって、ようやく理解した気がする。
兄が人の精神を支えることができるのは、自分の世界軸をしっかりと持っているからだと。
受容とは、強くあること
優しさとは、時に「何でも受け入れること」と思われがちだ。
でも本当の優しさ、そして真の受容とは、自分の根を深く張っていることだ。自分という木がしっかりと立っているからこそ、他者の枝葉を抱きしめることができる。
兄のように、人の痛みに日々向き合う人こそ、「自分の世界軸」を大切にしている。
そして、それは何も特別な職業に限らない。
親であること、教師であること、友人であること、パートナーであること……。どんな関係においても、「人と向き合う」ということの本質は、同じなのだと思う。
最後に──自分の世界を、育て続けるということ
兄を見ていると、「自分の世界を育て続けることの大切さ」を感じる。
それは、閉じこもることではない。むしろ、外の世界に開いているがゆえに、自分の内側に深く潜る必要があるということだ。
私たちが誰かを受け入れるとき、何かに共感するとき、何かを支えようとするとき。
そこにはいつも、「自分の世界軸」が必要だ。
それがあるからこそ、他者を受け入れられる。
それがあるからこそ、他者に巻き込まれすぎずにいられる。
それがあるからこそ、自分を保ちながら、優しくなれる。
兄の背中から、私はそれを学んでいる。

  
  
  
  





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