「仕事とは、お金を稼ぐことだ」
この言葉は、あまりにも自然に受け入れられている。
学校でも、会社でも、社会のあらゆる場面で、
仕事は“収入を得る手段”として説明される。
だが、本当にそうだろうか。
お金を稼いでいるのに、
どこか虚しさを感じる人がいる。
逆に、
ほとんど報酬になっていないのに、
確かな手応えを感じる営みもある。
この違いは、いったい何なのか。
私は、仕事をこう捉え直したい。
仕事とは、お金を稼ぐことではない。
流れをつくることだ。
お金は「原因」ではなく「結果」である
まず確認しておきたいのは、
お金は何かを生み出す“原因”ではないということだ。
お金そのものは、
- 何かを助けない
- 何かを癒さない
- 何かを前に進めない
お金が動く前には、必ず別の動きがある。
誰かの困りごと。
誰かの違和感。
誰かの不足や行き詰まり。
それを感知し、
言葉にし、
形にし、
他者へと手渡す。
その一連の見えない運動のあとに、
ようやくお金が現れる。
つまり、
お金は「流れが成立した証拠」であって、
仕事そのものではない。
人間の仕事は「循環」をつくることだった
人類の歴史を振り返っても、
仕事は常に“流れ”と結びついていた。
- 食べ物を獲り、分け合う
- 道具を作り、次の世代へ渡す
- 知恵を語り、物語として残す
ここに「給料」という概念はない。
あるのは、続いていくための循環だけだ。
仕事とは本来、
- 断絶をつながりに変える
- 停滞を動きに変える
- 個を関係の中へ戻す
そうした営みだった。
なぜ現代では「仕事=お金」になったのか
近代社会は、あらゆるものを測定可能な形に変えてきた。
時間は労働時間に。
価値は価格に。
関係性は契約に。
その中で、
仕事は「成果が即数値化できるもの」だけを
仕事と呼ぶようになった。
だが、流れをつくる行為の多くは、
- 数字にならない
- 評価が遅れて現れる
- 成果が他人の名義になる
だから見えなくなる。
そして、見えないものは
「仕事ではない」とされていく。

流れを刈り取る仕事、流れを育てる仕事
お金を目的にすると、
仕事は「刈り取り」になる。
- いま取れるものを取る
- 最短距離で回収する
- 余白を残さない
一方、流れを目的にすると、
仕事は「育成」になる。
- まだ言葉になっていない違和感を拾う
- すぐに返らない種を蒔く
- 関係が続く余地を残す
前者は速い。
だが、すぐ枯れる。
後者は遅い。
だが、自然に続く。
流れをつくる人は、最初は理解されない
流れは目に見えない。
だから、流れをつくっている人は、
- 何をしているのか分からない
- 役に立っているのか判断されない
- すぐ成果を出せと言われる
それでも続けていると、
ある時点で変化が起きる。
- 人が自然に集まり始める
- 問い合わせが増える
- 説明しなくても伝わる
そのとき初めて、
お金が“追いかけてくる”。
仕事とは「場を整える行為」である
流れをつくるとは、
突き詰めればこういうことだ。
人・時間・価値が
無理なく循環できる「場」を整えること
仕事とは、
その場を壊さず、枯らさず、
次へ渡せる形に保つ営みである。
お金は、
その場が健全かどうかを示す
遅れて届く通知にすぎない。
おわりに|流れを信じるということ
流れをつくる仕事は、
効率も悪く、誤解も多い。
だが、それは
人間が人間であり続けるための仕事でもある。
目に見える成果だけを追わず、
いま起きている微細な動きに耳を澄ます。
仕事とは、
世界が止まらないように、
静かに手を添える行為なのかもしれない。
お金よりも先に、
流れがある。
そして、
流れを信じて手を動かす人のところに、
あとから必要なものが集まってくる。







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