これまでの先人たちの網目の上に、生きているんだ
映画『おおかみこどもの雨と雪』を観終わったあと、じんわりと「これまでの先人たちの網目の上に、生きているんだ」という言葉が浮かんできた。
花と雨と雪の物語は、ただの家族の話ではない。
それは“生きるとは何か”を、文明の根っこから問い直す物語だった。
ここから、その思索を深めたブログ記事として再構成していく。
知識は死とともに断絶する:一つの宇宙が消える瞬間
花は、突然に伴侶を失う。
その瞬間、彼が積み上げてきた知識、技術、経験は跡形もなく消える。
人の死とは、一つの宇宙の完全な消滅だ。
どれほど賢くても、どれほど努力しても、人は“知らない領域”を抱えたまま生きている。
この映画は、その残酷な事実を静かに突きつけてくる。
だからこそ、人は最初から “自分ひとりの知識で生きるようには作られていない”。
生き延びる力は関係性から受け継がれる:第二の知識
花が生活を立て直せた理由は、本に書かれた知識ではなかった。
村の人々との関係性だった。
- 畑の耕し方
- その土地に合った育て方
これらは紙には書ききれない。
人から人へ、身体を通して受け継がれる“第二の知識”だ。
関係性そのものが“生きる技術の継承”になっている。
人は、関係性の中にいないと生き延びられない。
助け合いは「優しさ」ではなく、生存戦略そのもの
雨と雪の自由な選択は、関係性に支えられていたからこそ可能だった。
人は自立するために他者を必要とし、自由を得るために助け合いを必要とする。
助け合いは“心優しい行動”ではない。
人類が地球で生き残るために編み出した、最も合理的で古い生存戦略である。
私たちは先人たちの“網目”の上に立っている
私たちの生活のほぼすべてが、誰かが編み上げた網の上に存在している。
言語、道具、文化、制度、道、医療、教育…
花が受け取った知恵も、雨と雪が母から継いだ心も、すべてこの“網目の続き”だ。
人類の強さは、個人ではなく網としての集合構造にある。
現代社会の“見えない脆さ”:文明は一本の糸で支えられている
視点を現代に向けると、別の問題が浮かび上がる。
私たちは便利で、安全で、情報も多い。
しかし、
- 自分で食をつくれるか?
- エネルギーを作れるか?
- 誰かを支えられるか?
そう問われると、多くの人が答えに詰まるだろう。
文明の恩恵は大きいが、それは “生きる力の外注” によって成り立っている。
現代人は「生きる力」を社会に外注してきた
生きる基盤のほとんどが外部化されている。
- 食料 → スーパーと物流
- 電気 → 電力会社
- 水 → インフラ
- 情報 → ネット
- 助け合い → 行政
これらが止まったとき──
お金があっても生きられない。
お金では野菜は育たない。
お金では電気はつくられない。
お金では人の心はつくれない。
文明は強そうで、実は驚くほど危うい一本の糸で吊られている。
「お金があれば大丈夫」は幻想である
花を救ったのは、村人の手だった。
現代でも同じだ。
- 食料供給が止まれば、お金では買えない
- 物流が麻痺すれば、届かない
- エネルギーが落ちれば、文明は止まる
生きる根っこは、お金ではなく網目である。
現代に必要なのは、新しい“網目”を編み直すこと
映画の村に戻る必要はない。
しかし、私たちが未来を生き抜くためには、網目を再構築しなければならない。
自分の「生きる技術」を取り戻す
料理、土に触れる、直す、自然を知る。
小さな行動が“生きる力”を再生する。
関係性の密度を上げる
数より深さ。
点が線になり、線が面になり、面が網になる。
誰かを支えられる自分になる
支えた分だけ、自分の糸も太くなる。
お金以外の価値を認める
技術、経験、信頼、地域。
これらこそ網目の素材。
網目を未来へ手渡す生き方
雨と雪が選んだ道は違う。
しかし二人は、母・花の網目を確かに受け取っていた。
そして私たちもまた、
先人たちの網目の上に立ち、自分の糸でその続きを編んでいる。
文明は巨大に見えるが、網目は驚くほど個人的で日常的だ。
その一目一目が、未来の誰かの命を支える布地になる。
あなたが今日編む「一目」は、どんな糸ですか?





コメント