130円の気づき ― お金はツールであり、やさしさの形でもある

自分と向き合う

自販機の前で

昼休み、会社の自販機の前で、同僚が困っている様子を見かけた。
「PayPayで支払いたいのに、反応しないんですよ」

何度も画面をタッチしてみるけれど、自販機は無言のまま。
どうやらこの自販機、メルペイとauPAYしか対応していないらしい。
現金も持っていないようで、彼は飲み物を買えずに立ち尽くしていた。

私はメルペイもauPAYも使っている。
「支払いましょうか?」と声をかけた瞬間、彼は少し笑いながら答えた。

「いや、返すのが面倒だから大丈夫です」

そのときは「そうですか」と笑って引き下がったけれど、後になって胸の奥に小さな後悔が残った。

「返さなくていいですよ」と言えばよかった

130円。たったそれだけの金額。
でも、その小さな金額にこそ、心のあり方が表れるのだと気づいた。

あのとき「返さなくていいですよ」と言って買ってあげればよかった。
お金を貸すのではない。
ただ、誰かの小さな困りごとを助けるために使うだけでよかったのに。

なのに、なぜ言えなかったのだろう。

「気を遣わせたら悪いかな」
「お節介に思われるかもしれない」

そんなどうでもいい迷いが、頭をよぎった。
ほんの数秒のやり取りで、こんなにも心を迷わせるなんて、我ながら小さなことに悩みすぎだと思う。

お金はツール。でも、使い方には心が出る

お金は確かにツールだ。
生活を支える手段であり、社会の血液のように循環するもの。

しかし、その使い方には、人の心が映る。
誰かのためにお金を使うというのは、その人の困りごとにそっと寄り添うこと。
「見返り」ではなく「共感」で動くこと。
それができたら、お金はただの数字ではなく、やさしさを運ぶ形になる。

振り返れば、あの130円は、単なる飲み物の代金以上の意味を持っていた。
それは、人と人との関わりや、ちょっとした思いやりのきっかけになり得るものだったのだ。

やさしさの連鎖を買い損ねた

今になって思う。
あの130円は、私に返ってこなくてよかったのだ。

返ってこなくてもいいお金。
けれど、それが誰かのやさしさになり、また別の誰かに繋がっていったかもしれない。

私はそのとき、やさしさの連鎖を買い損ねたのだ。

お金で買えるのはモノだけではない。
ときには、誰かの安心やぬくもり、そしてやさしさの連鎖さえ、買えるのだと気づかされた。

小さな優しさの種

人は大きなことをしなくてもいい。
日常のほんの一場面で、そっと手を差しのべられたら、それで十分だ。

例えば、自販機の前で困っている人に130円を支払うこと。
それは決して大きな金額ではないけれど、その行為には温かさが込められる。
そして、そのやさしさは、きっとどこかで誰かに繋がっていく。

小さな種をまくようなものだ。
その種は、時に自分にも返ってこないかもしれない。
でも、誰かの心に小さな光を灯すことができる。
それだけで、お金の使い方が少しやわらかく、意味のあるものになる。

130円の気づき

あの日、自販機の前で立ち尽くしていた彼の姿は、今も心に残っている。
たった130円の出来事だったけれど、私に大切な気づきを与えてくれた。

お金はツールであり、道具である。
でも、使い方次第で、やさしさや思いやりの形になる。

そして、その小さなやさしさの連鎖を、私は次こそ、しっかりと手に取って伝えたいと思う。

130円の気づき。
それは、私にとってこれからのお金との向き合い方を少しだけやわらかくしてくれる、忘れられない出来事だった。

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