SNSの「いいね」では、ほんとうの自分は満たされない──色を求めると空しくなり、空に生きることで色づいていく話

自分と向き合う

※この記事では、「色」や「空」といった『色即是空』の概念を扱っています。
※「色」と「空」、そして『色即是空』の意味をより深く知りたい方は、以下の記事で詳しく解説しています。

SNSに支配された日々

数年前の私は、SNSのために生きていたように思う。

「今日はどこに行こうか?」と考えるとき、
「それって投稿できる?」という視点がまず浮かんだ。

ランニングの記録をアップして、
フルマラソンのタイムを載せて、
オシャレなカフェでのランチ写真、
手づくり弁当、
出かけた先の夕焼け。

すべてが「いいね」を得るための行動だった。
誤解のないように言えば、それはそれで楽しかった。
少なくとも、楽しい“ふり”はできた。
でも、いつまでたっても心の底までは届かない。

「満たされない感覚」だけが、しつこく残った。

自分を「色」で満たそうとした過去

SNSは、たしかに“色”だった。
目に見えて、誰かが評価してくれる。
可視化された自己肯定感。
承認されるという「色」。

でも、その色は薄っぺらだった。
シャッターを切った瞬間は誇らしくても、
投稿ボタンを押して数時間もすれば、
どこかに置き忘れたようにどうでもよくなる。

誰かの「いいね」が、自分を満たしてくれるわけじゃない。
むしろ、自分を消耗させていくような日々だった。

色を求めれば求めるほど、心は空になった。
今になってみると、それはとても自然なことだったのかもしれない。
──「色即是空」。

見えるもの(色)を求めれば、逆に空しくなる。
見せることばかりを意識して、自分の“関係性”をすり減らしていた。

子どもが生まれたら、SNSに投稿する暇もなくなった

結婚して、子どもが生まれた。
生活はガラリと変わった。

夜泣き、オムツ替え、洗濯、保育園準備、病院通い、
スプーンを投げられて床に散らばるごはん、
泣きわめく子どもをなだめながら、寝落ち寸前の妻を気遣う。

SNSに投稿する暇なんて、ない。

いや、正確に言えば、投稿できる出来事は山ほどある。
でも、それをわざわざ切り取って加工してアップロードする気力が、もうない。

そんな“映えない”毎日のなかで、
私は、かつてないほどに満たされていた。

満たされるとは、「関係性の中で生きている」と感じること

誰かに見せるためではなく、
ただ目の前の人との関係性に集中する。

子どもが初めて「パパ」と呼んだとき。
「抱っこ」と言ってきたとき。
寝かしつけの絵本を読みながら、スースーと寝息を立てる姿。

それを誰かに「いいね」されなくても、
“関係性”のなかで、自分という存在が深く息づいているのを感じる。

「空」――関係性そのものに、生きている実感がある。

そして、そこから自然と「色」が立ち上がってくる。

妻の笑顔、子どもの寝顔、
自分が作った味噌汁を「おいしい」と言ってくれる声。

それらが、自分という“色”を彩ってくれる。
他者に承認されなくても、自分の中で確かに輝いている。

色即是空、空即是色──SNSと家族のはざまで気づいたこと

仏教における「色即是空、空即是色」は、
長らく私にとって抽象的な言葉だった。

でも今は、日常の中でふとそれを思い出す。

色(形あるもの)は、空(関係性や変化)でできていて、
空(関係性や空白)は、色となって現れる。

SNSに投稿する“色”ばかりを追っていた頃、
僕は「空」を忘れていた。
だから、色は儚く消えていった。

けれど今は、目に見えない「空」のなかに身を置いている。
妻と、子どもと、日々を共にするなかで、
無数の関係性の交差点に自分が立っていることを実感している。

その実感が、まぎれもなく、自分を“色づかせて”くれている。

たとえ誰にも見られなくても、そこに「自分」がいる

SNSを否定するつもりはない。
そこに救われる人もいるし、つながりも生まれる。

でも、いつのまにか「他人のまなざし」でしか自分を測れなくなる危うさはある。
見せることばかりに慣れてしまうと、見せない時間が「空白」だと思ってしまう。

でもほんとうは、
その「空白」にこそ、本当の自分が宿っている。

誰にも見られなくても、
手を取り合っている時間。
眠る子どもをそっと見つめている時間。
妻と笑って食卓を囲む時間。

それらすべてが、「空」のようでいて、「色」なのだ。

いま、ようやく「満たされる」ということが、少しだけわかった

それは、一瞬で訪れる幸福ではない。
積み重ねのような、日々のかすかな息吹のような、
小さな関係性のつながりのなかで、
じわじわとにじみ出てくるような感覚。

色を求めて空しくなっていた過去。
空に生きることで色づいていく今。

SNSの「いいね」よりも、
「おはよう」「ただいま」「ありがとう」という日常の挨拶のほうが、
よほど心に響くということに、ようやく気づいた。

満たされるとは、誰かとつながっていると感じること。
そして、そのつながりの中で、自分の存在を感じること。

そんな今の暮らしが、私を生かしている。

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