たった一つの伝えたいこと──世界の見方は自由だ
もし、この文章を読んでいるあなたが、
まだ小さな子どもだったとしても、
あるいは、すっかり大人になってから偶然たどり着いたとしても、
伝えたいことは一つだけです。
世界は、こうやって見てもいい。
日常は、問いでできている
朝起きること。
ごはんを食べること。
学校へ行くこと。
誰かと話すこと。
それらは一見、とても当たり前で、
考える余地のない出来事のように見えるかもしれません。
でも、よく見てみると、
日常の中には小さな問いが、たくさん転がっています。
なぜ、ここで嬉しくなったのか。
なぜ、あの言葉が引っかかったのか。
なぜ、今日は少し疲れたのか。
答えを出さなくてもいい。
ただ「問いが浮かんだ」という事実だけで、
人は少し人間らしくなれる。

強く生きる、ということ
強く生きてほしい。
そう願うとき、多くの大人は、
折れないこと
迷わないこと
正解を選び続けること
を思い浮かべます。
でも、本当に大切なのは、
揺らぎながらも、生き続けられることだと思っています。
不安になってもいい。
分からなくなってもいい。
立ち止まっても、遠回りしてもいい。
それでも、世界と関係を切らずに、
自分の足で立ち続けること。
それは、とても静かで、
とても強い生き方です。
正解は、最初から用意されていない
この世界には、
「これを選べば間違いない」という道は、ほとんどありません。
あるのは、
選んでみて、違ったと気づくこと。
進んでみて、戻りたくなること。
迷いながら、少しずつ輪郭が見えてくること。
だから、正解を急がなくていい。
正解がない世界で生きるということは、
自分の感覚を信じる練習をする、ということでもあります。
揺らぎは、弱さではない
揺らいでいるとき、
人は不安になります。
でも、揺らぎは、
何かを感じ取っている証拠です。
変化に気づき、
違和感を覚え、
まだ言葉にならない何かを抱えている状態。
揺らげる人は、
世界に対して感受性を失っていない。
それは、壊れやすさではなく、
生きている証です。
世界は、固定しなくていい
人はときどき、
「こうあるべき」
「普通はこうだ」
「みんなそうしている」
という言葉で、世界を固めようとします。
でも、世界は本当は、
もっと流動的で、曖昧で、未完成です。
あなたも、固定されなくていい。
昨日と違う自分でもいい。
前に言ったことを、今日取り消してもいい。
考えが変わっても、恥ずかしくない。
変わり続けられることは、
生きていることと同じです。
世界を、柔らかく見るということ
世界は、ときに厳しく、
理不尽で、
納得できないことだらけです。
それでも、
少し距離を取って眺めてみる。
立ち止まって、考えてみる。
すぐに答えを出さず、余白を残す。
そんなふうに世界を見ることも、許されている。
それは逃げではなく、
自分を守りながら世界とつながる方法です。
最後に
強く生きてほしい。
揺らぎながら生きてほしい。
正解のない世界を、自分の足で歩いてほしい。
その願いは、
何かを成し遂げてほしい、という期待ではありません。
ただ、
生きていていいと思える時間を、
できるだけ長く持っていてほしい。
それだけです。
世界は、
あなたが思っているよりも、
もう少し、柔らかい。
そして、
あなたが揺らぎながら立っていること自体が、
もう十分に、強いのだから。






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