私は、日常から生まれた問いや、作品と出会って抱いた違和を、そっと言語にしています。
感情が揺れた瞬間、それが何なのかを知りたくなる。
日々の暮らしの中で、気づいたこと、心が触れたことを、言葉にしておきたくなる。
このブログは、そんな自分の記録です。
誰かに届けたい──わけでは、ありません。
むしろ誰にも読まれないまま、静かに埋もれていくのがいちばん良い。
それでも、私はここに綴り続けます。
私が「ブログ」を書く理由
妻を、子供を、家族を、私は心から愛しています。
それは、生きていればいつか必ず、伝えることができると思っています。
でも、私は明日死ぬかもしれない。
いや、1分後にだって──。
そんな不確かな命のなかで、私がもし突然いなくなってしまったら。
妻や娘、息子に、「あなたたちをどれだけ愛していたか」を伝えきれずに終わってしまう。
そう思うと、いてもたってもいられなくなるのです。
だからこそ、こうしてブログを書いています。
ただ「好きだよ」「大切だよ」と言うだけではなく、
自分の感じていることを、世界の見方を、言葉として残しておく。
しかも、それを一つの視点ではなく、
色んな角度から、色んな切り口から綴っておきたい。
それは、一種の保険のようなものかもしれません。
私が突然いなくなっても、
ここにある言葉が、私の代わりに何かを語ってくれるように。
なぜ、日記ではなくブログなのか
もしこれが日記なら、いつか家族に読まれる可能性は高い。
ノートとして確実に家に“ある”のだから。
でも、ブログなら、見つけてもらえないかもしれない。
アクセスされなければ、ただのデジタルの海に埋もれるだけ。
あいまいな存在で、曖昧なまま、消えていくかもしれない。
でも、それがいいんです。
読まれたら、きっと少しは嬉しい。
でも、読まれなくても、まったくかまわない。
この文章は、
“誰かに届けたい”という気持ちと
“誰にも届かなくていい”という祈りの、
ちょうど中間に存在しています。
色即是空、空即是色。
執着を手放すことで、ほんとうの愛に近づけるように。
SNSの海を漂う「もしも」に触れたとき
ある日、妻がこんなことを言いました。
「SNSで、旦那さんと子供を同時に亡くしたお母さんを見た」と。
その女性は、気持ちのやり場を求めて、SNSに綴っているのだそうです。
もし私たちが同じような状況に置かれたとしたら──
私は妻に、どんな支えを届けられるのか?
その答えが、このブログです。
書くことでしか、私は想いを深く受け止めることができないから。
生きていても、死んでいても、伝えられる方法として。
「空にまれに咲く」というブログ名に込めた思い
このブログのタイトルには、
「空(想い)の中に、まれに花(色)が咲く」
──そんな祈りと、静かな覚悟を込めています。
そしてこの名前には、
妻や娘、息子の名前を織り込んで、大切に綴りました。
家族という存在が、日々の思索や感情の根となり、花となって咲く。
そんな願いも、そっと重ねています。
ここに綴られる言葉は、
ただのつぶやきかもしれません。
誰にも届かない日記のようなものかもしれません。
それでも。
たとえ一面の空にぽつりとでも、
ことばの花が咲く瞬間があると信じて、
私はここに書き続けます。
おわりに
このブログは、私自身の生の痕跡です。
妻や子どもたちに直接、伝えられる日が続くことを祈りながら。
でも万が一、それが叶わなかったとしても、
ここにある言葉が、少しでも君たちの力になってくれたら。
読んでくれなくてもいい。
ただ、ここにあるということだけ、風のように残しておきたい。

たき|プロフィール情報(簡略)
- 2014年:佐渡島208kmウルトラ遠足完走(37時間26分)
- 2016年:フルマラソン2時間50分02秒
- 2018年:自転車で日本海〜太平洋往復旅。出会いで助けられる
- 好きなもの:マラソン、自転車、日常の哲学、問い続けること
- ブログ:「空にまれに咲く」運営中
- 目的:妻や子どもたちに何かを残すこと、問いを綴ること
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